第259話 才蔵の女あるじ―1

 

 才蔵の姿を見失った佐助は、路傍に立つ巨木の上に跳び、太い枝の上からあたりを見回した。

 小手をかざして辻々を見ると、才蔵が一丁先の屋敷の前にいた。

 あわてて、佐助は木から飛び降り、才蔵のもとへと走った。

 

 そこは、築地塀に囲まれた数寄屋風の広壮な邸宅であり、門は黄金にかがやく絢爛たる唐門からもんであった。

 才蔵は唐門の前で、その屋敷の門番と何やら話し、まっすぐ玄関へと向かった。

 あとにつづく佐助に、才蔵が告げる。

「よいか。黙って、わしのそばに控えておれ。むやみに口を開くでない。これから、わが女あるじ殿に、おぬしを引き合わせる」

 相変わらず権高な口調である。


 佐助は口を開くどころではない。

 今まで見たことのない豪壮な邸宅に圧倒され、神妙な面持ちで才蔵のうしろにつづくほかないのだ。

 二人は青侍の取り次ぎにより、書院の間へと通された。

 青侍とは公家の家に仕える侍で、青色のほう(束帯などの上着)を着用していることから、この呼称がある。


 廊下の向こうから衣擦きぬずれの音が近づいてきた。

 下座に控える才蔵が畳に手をついた。

 あわてて佐助も才蔵の真似をして平伏した。

 得も言われぬ芳香をただよわせ、才蔵のあるじが上座についた。

「才蔵殿、大儀であった。両名、かしらを上げなされ」

 涼やかながらも、強さを秘め声音である。


 恐る恐る頭を上げた佐助に、臈たけた女人が嫣然たる笑みを投げかけてきた。

「ははあっ」

 綾絹の白い小袖の上に、唐織りの豪華な打掛。艶やかな黒髪を背に垂らし、切れ長の目は怜悧に澄み渡っている。

 あまりのまばゆさに、佐助は身を縮め、再び平伏した。

 そして目を伏せつつ、内心、はたと気づいた。

「こ、このお方こそ、才蔵が地蔵峠で申しておった女あるじ、千代乃さまであられるか!」

 佐助は平伏したままの姿勢で、才蔵からわが身が引き合わされるのを待った。

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