第254話 佐江姫の予言―1

 穴山小介がここに至る経緯いきさつを語り終えた頃、夜はしらじらと明け、旅籠の土間にも朝陽が差し込んでいた。


 誰から聞いたのか。

 小介は、沼田の陣中にありながらも、幸村らが戦った神川の合戦について驚くほど通じていた。

「あの戦いにおいて、佐江姉さまが身まかられたよし。今でも心が痛み、悲しゅうござる。お父上さまの頼綱さまは、悲報に接し、気も狂わんばかりにお嘆きでござった。徳川のよこしまな覇道、許せませぬ」

 

 小介はひとしきり憤慨し、徳川に復讐すると宣言したあと、

「ときに、皆さまお揃いで何処へ……もしや、上方……それも大坂の城に参られるのではござらぬか」

「何故、それとお察しか」

 三十郎が太い眉根を寄せ、いぶかしげな声を上げた。


 すると、小介が懐中から何やら取り出し、

「これをごろうじあれ」

 と、三十郎の前に置いた。

 それは、渋紙に包まれた一通の書状であった。


「おおっ、これは……わが妹の!」

 三十郎の大きな双眸が書状に釘づけとなった。

「左様。わが憧れの姫御前ひめごぜ、佐江姉さまからの大切なふみでござる」

 その書状の書き出しには、沼田の陣における小介への感謝の念が綴られていた。佐江は、父頼綱から小介父子の奮戦ぶりを聞き、一筆したためたのであろう。


 書状をさらに読み進める三十郎の眼が、カッと見開かれた。

 次いで幸村に向き直り、信じられぬといった顔色で告げた。

「若。ここに、この文に、源次郎さまがいずれ上方へのぼられ、ゆくゆくは日ノ本一の武将になられる。すなわち、蛟竜こうりゅう雲雨を得ば、ついに池中ちちゅうのものにあらざるなり。ゆえに、いざ時節到来のあかつきには、源次郎さまに頼もしき岩殿のお力添えを乞い

願いたいと、書いてござる」

 それは、まさしくオシラサマの化身といわれた佐江姫の「予言」ともいうべき書状であった。


 小介が笑い声をあげた。

「矢沢の兄さま、佐江姉さまの見立て、どうやら図星でござろうか」

 そして、さらに付け加える。

「その文の中の岩殿とは、それがし岩千代のことでござるよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る