第253話 穴山小介との邂逅―4

 佐江の死後、北条氏直は4万の大軍を率いて小田原を発ち、沼田城を十重二十重に取り囲んだ。

 雲霞のごとき敵の陣容を見て、老将矢沢頼綱は喜悦の声を上げた。

「これで死ねる。佐江のもとへ旅立てる」

 頼綱は鎧もつけず真っ白い死装束で敵陣に突入した。


 馬上、大薙刀の「小松明こたいまつ」を掻い込み、咆哮する。

左京大夫さきょうのだゆうどの、いずれぞや」

 左京大夫とは、敵の総大将北条氏直をさす。

「一騎討ちを所望。われら両名にて、勝敗を決しようぞ」

 死を決した頼綱は、氏直との相討ちを望んだ。

 が、眼前には沼田の野を埋め尽くす大兵団。頼綱の思いが氏直に届くはずもない。


「あそこに薩摩守どのがおられる。討ち取れ!」

 敵兵は死装束の頼綱めがけて黒々と殺到した。

 このとき、

「お屋形さまをお守りせよ」

 と、頼綱の馬前に躍り出た武者がいた。

 穴山玄蕃信光であった。


 白刃がひらめく。矢が唸り飛ぶ。

 凄まじい乱戦の中で、小介がふと気づくと、鎧に数条の矢を受けた父の玄蕃が槍にすがって立っている。

「父上っ!」

 小介が駆け寄ると、玄蕃が血にまみれた顔に笑みを浮かべて言った。

「小介よ。この父が死んだとて断じて嘆くではない。戦場往来のもののふとして、こかく死に花を咲かせ、ここに尽きるは、わが本望。そなたに教えられることはもはやなく、もののふとしての天分もわれに勝ること疑いなし」


「父上っ!何を申されますか。しっかりなさいませ」

「小介、騒ぐでないっ。これを機に、そなたは本領の甲斐に帰り、穴山家を再興せよ。いずれ功名を立て、天下に名をあげるのじゃ。わがしかばねを越えてゆけ」

 直後、玄蕃の五体はぐらりと地に崩れ落ちた。絶命である。


 その後、小介は父の遺命に従い、生き残った郎党らとともに本領の甲斐河内へと帰った。しかしながら、すでに父祖伝来の地は徳川家の家臣に簒奪され、依るべき寸土もない。

 やむなく木曾の街道筋に蟠踞し、捲土重来の機を窺っていたという。

 憎き徳川に復讐し、本領を取り戻すために――。

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