第248話 馬籠宿での異変―1

 二階に上がる幸村らの姿を、一階の障子の隙間から窺う気配――。

 それに火草は敏感に気づいていた。

 しかも、土間に脱ぎ捨てられていた草鞋の数から、一階に陣取る客の数まで割り出していたのである。


 ――ざっと8人……と見た。

 ほどなくして旅籠の主が宿帳を持って入ってきた。

 火草がさりげく訊ねる。

「ご亭主、一階はにぎやかなようじゃのう。旅のお人か」

「下のお客人でござりますか。いずれも皆さまと同じ、お侍さまでござりますよ。三日前からご逗留で……へえ」


 火草の背中越しに、三十郎が野太い声を発した。

「して、いずこのご家中であられるか」

「いえいえ、ご浪人さまのようで。へえ、ご時世でござりまする」

 戦乱の世である。主家が滅び、あるいはみずから致仕し、新しい仕官の口を求めて流浪する武士が少なからずいた。


 ――しかしながら、徒党を組んで流浪するであろうか。

 火草は何やら怪しいと、眉宇をひそめた。

 そのような火草の懸念をよそに、三十郎が屈託ない声を出す。

「亭主、何はともあれ飯じゃ、酒じゃ」

 火草は、すかさず旅籠の主に、

「これは茶代じゃ」

 と、宿泊代金とは別途の、いわゆるチップを握らせた。


 当時の旅籠は、相部屋が原則であったが、この茶代をはずんでおくと、そうならずに済む。また、一汁三菜の夕飯に、おかずがもう一品加わったりもする。

「これは、これは過分なお代を」

 亭主は狭い額に茶代を押しいただくや、前歯の欠けた口を開け、愛想笑いをみせた。


 山また山の木曾である。

 梵天山の尾根に夕陽が沈むや、たちまち夜が訪れた。

 そして深更――。

 丑三つ時の闇の向こうから、時ならぬ男の銅鑼声が響いた。

「やいやい、起きろや、起きろ。起きぬと旅籠を焼くぞ!」


 宿の寝床から跳ね起きた望月六郎が、出格子の窓から石畳の表通りを見おろした。松明の数が、七、八本。その灯火に浮かび上がる男たちのいずれも、槍、長巻、薙刀などの物騒な得物を携えている。


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