第242話 幸村の旅立ち―2

 矢沢頼綱は今度こそ死ねると、愛用の大薙刀「小松明こたいまつ」をふるって、雲霞のごとき北条の大軍の中に突っ込んだ。

 小松明は刃渡り三尺、柄は太く六尺もあり、重さは二貫五百目(約9キロ半)。この長大な薙刀を馬上、苧殻おがらのように軽々とふるうのである。

 

 小松明がぶんと一閃するたびに、群がる敵は薙ぎ倒され、血がしぶいた。

 困ったことに、ひとたび血を見るや、頼綱の熱い血は奔騰し、いつしか我を忘れて当たるを幸い、つい周辺の敵を蹴散らしてしまうのだ。

 これでは死ねない。


 頼綱の猛烈な死戦の前に、またしても北条軍は攻めあぐんだ。

 加えて、5月中旬より上州は豪雨となり、沼田城の天然の堀である利根川、片品川が氾濫した。城を取り巻く北条軍は水害に襲われ、混乱の極みに陥った。


 しかも雨がやんだ合間には、昌幸から派遣された真田鉄砲隊が、猛射を浴びせかけてくるのだ。

「撃てえええーっ!」

「放てえええーっ!」

 鉄砲隊を率いる筧十蔵が、声を張り上げるたびに、北条軍の死傷者は増えるばかりとなった。

 さらに、昼夜を問わず唸る大筒の弾丸が、陣地に着弾し、北条軍を恐怖におののかせた。


 鎧も着物はもとより、陣地もびしゃびしょになった北条軍は戦意を喪失した。

 天候を味方にできなかった氏直は、今回も軍を退かざるを得なくなったのである。

 またもや頼綱は死ねず、天をぐらりと仰ぎ、おのが武運のさかんなるを嘆いた。


 さて、中山道を西に征く幸村のことに話を戻そう。

 幸村は馬の背に揺られながら、父昌幸との会話を思い出していた――。


 幸村が上田を発つ半月ほど前のことである。

 昌幸が碁を打ちながら、ぼそぼそとした声で幸村に語りかけてきた。

「沼田は叔父御の奮戦で北条を撃退したが、この上田城もいつ家康に襲われるやもしれぬ」

 幸村が碁盤の上に那智黒を置きつつ、同意する。

「その恐れは十分にございましょう」

「お主、わしの名代として行ってくれるか」

「大坂城に……でございますか」

「うむ。わしが行かずとも、お主が大坂城に入れば、それで豊臣家への臣従の証となろう」

「なるほど」

 その次に、昌幸は驚くべきことを口にした。

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