第240話 佐助不覚―2

 左右から同時に忍び刀が襲ってきた。

 その刹那、佐助は懐に隠し持っていた鶏卵けいらんほどの玉を地面に投げつけ、背後の土塀の上へと飛翔した。それと同時に爆発音が炸裂し、まぶしい閃光が煙とともに立ちのぼった。

 火遁の術であった。


「キエーッ!」

 転瞬、甲高い猿叫を虚空に響かせ、佐助は土塀の上から、武家屋敷の屋根に跳びあがった。屋敷の裏には、鬱蒼とした雑木林が広がっていた。

 その雑木林の中へと、再び佐助は身を躍らせた。

 あとは夢中で走った。佐助の足の速さに追いつけるものはいない。


 樹々の間をすり抜け、野を横切り、やがて安倍川の岸までたどりついたとき、追手の気配は完全に消えていた。

 安倍川の葦の茂みに身を隠し、佐助は気息をととのえた。そのとき、ふと左肩に痛みが走った。敵の刃をかわしたつもりが、不覚にも斬られていたのである。


 ――ここまで佐助の話を聞いて、海野六郎は「ふうっ」とかすかな嘆息を漏らしし、ややあって口を開いた。

「して、佐助。甲斐の隠し湯で傷を癒したあと、いかがする。わしとともに信濃へ還るか」

「いや、京の都へ参る。この秋にも家康が上洛の途につくとか。となれば、半蔵めも警護のため列に加わろう」

「ふむ、なるほど。じゃが、それはどこで仕入れた話じゃ?」

「実は、駿府の城下で才蔵どのとバッタリ遭うた。その際、聞いた話よ」

「左様であったか。仇討ちに参るお主に、要らぬめ立てはするまい。なれど、京に参るにはまずは銭が必要。路銀はあるのか」

 佐助は懐から碁石ほどの光る粒を取り出した。それは甲州金であった。

 六郎が驚いた声を出す。

「そ、それはどこで手に入れたのじゃ!」

「ここから上手二丁ばかりのところに、大きな滝がござる。その滝壺に沈められた鎧櫃の中に……」

「そうか、左様であったか」

「このこと、若に……源次郎さまにお伝えくだされ」

「承知!」

「オラはもう二度と信濃には還れぬ。どの面、下げて……」

 六郎は佐助の胸中を察し、口をつぐんだ。


「オラのせいで、オラが油断したばかりに、佐江姫さまがあのようなことに……。若にこの佐助をおうらみれ、そしてお許しあれ、と」

 佐助が両腕に抱えた膝の間に顔を埋めた。

 その痩せた肩が小刻みにふるえている。

 声もなく泣いているのであった。



 

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