第234話 武田埋蔵金―2

 日川ひかわの上流へとさかのぼる海野六郎の耳に、滝の音が聞こえてきた。竜門峡である。

 六郎は渓流で喉を潤した。額から汗が流れ落ちる。


 ここから流れを下れば、初鹿野、田野の里に至る。

 頭上の山道を行けば、天目山栖運寺せいうんじへと行き着く。その古刹は、武田家13代当主信満の菩提寺である。

 当初、勝頼一行は討ちそろって自刃すべく、この寺をめざしていたという。

 ところが、途中の大蔵原に至るや、行く手に織田方の旗幟がなびくのを見て取り、やむなくここ日川の峡谷沿いに、終焉の地たる田野へ引き返したという。

 となると、重い荷物は、この峡谷に隠す以外に手はないのだ。


 六郎は峡谷の狭い空を見上げ、思案しつづけた。


 ――勝頼公が、後日の再起を期し、韮崎の新府城から持ち出した軍資金は、少なくとも5万両。いや、10万両は下るまい。その重い荷駄を引いて、日川の峡谷沿いに落ち延びたのだ。そして田野に最期の陣を張ったときは、荷駄は消えていた。となると、やはりこの竜門峡あたりが、隠し場所としてはいちばん臭い。ぷんぷんと匂う、匂うわい。


 武田遺金のありかを求めて、六郎は峡谷をさまよった。

 やがて巨岩が不気味に林立する場所に至ったとき、森閑として物音ひとつない幽谷に、カチッという音がした。小石を踏むようなかすかな音であった。


 ――人か、獣か。


 咄嗟に六郎は岩陰に身を隠し、弓に甲矢はや乙矢おとやのふたつを同時につがえた。二矢同時に射れば、たとえ熊のような大きな獣でも間違いなく倒せるのだ。弓の天才といわれる六郎ならではの神技であった。

 

 六郎は岩陰で気息を整え、耳をすました。

 やはり何かの気配がする。

 六郎は身じろぎひとつせず五感を研ぎ澄ました。

 風が何かの気配を運んでくる。

 六郎は細く息をし、動悸をおさえた。

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