第232話 ヒノイチ絶叫―2

 天高くそびえる寿老松を見上げながら、望月六郎ら一同はひとしきり佐江を偲び、追悼の念を深めた。

 そこにいる皆が仰ぎ見た勝気で優しかった夜叉姫――明るく聡明な上に、誰もを理屈ぬきで屈服させる美しさにかがやいていた。

 その佐江を喪失し、心ががらんどうのようになったのは、一人幸村だけではない。


「やや、これは身共だけが出遅れたようじゃ」

 額に玉の汗を浮かべて現れた根津甚八が、申し訳なさそうに頭を掻いた。

「なんの。根津の郷からは少し離れておるでの」

 遅れてきた根津家の惣領をそう言って庇った火草の隣に、甚八は腰をおろした。

「ときに、火草どの」

「ん?」

「卒爾ながらお訊ね申す。先の合戦の折、佐江さまが源次郎さまの耳にささやいた、あのヒノイチとは……何のことでござろうか」

「そうか。甚八どのもお気づきになられたか。耳ざといことよ」

「で……その意味たるや?」


 火草は一瞬の沈黙のあと、語りはじめた。

「これはご存じのことやも知れぬが、佐江姫さまの最たる願いは、源次郎さまが日ノ本一の武将になられること」

 甚八がうなずくのを見て、火草が言葉をつづけた。

「そこから推し測るに、ヒノイチとは日ノ本一の略かと。佐江姫さまは、死のまぎわまで、それを願い、太郎山神社に願懸けをされておられました。その宿年の悲願をあの世から見守るために、今やこの太郎山の頂きにおわします」

「………左様であったか」


 ややあって、甚八はすくっと立ち上がり、虚空に拳を振り上げ、三度咆えた。

「ヒノイチ!」

「ヒノイチ!」

「ヒノイチ!」


 その甚八の姿を目にしつつ、火草がきっぱりとした口調で言った。

「われらは、佐江姫さまのご遺志を継ぐ者。皆で力を合わせ、佐江姫さまのご宿願を必ずや果たさねばなりませぬ」

「おおおぅーっ!」

 望月六郎をはじめ、そこに居並ぶ弁丸軍団全員が総立ちとなった。

 何かが憑依したように、火草がきっと眦を吊り上げ、声を張り上げた。

「太郎山の神もご照覧あれ。われらも佐江姫さまにつづきまする!」


「うおーっ、うおおおぅーっ!ヒノイチ!」

 いつ来たのか、筧十蔵も隻眼の顔を天にぐらりと傾け、皆と一緒に大きな口を開け、満身からの咆哮を幾度も響かせた。

「ヒノイチ!」

「ヒノイチ!」

「ヒノイチ!」

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