第230話 頼綱の狂奔―2

 頼綱は敵の真っ只中で、なおも絶叫した。

「殺せ、わしを殺せ。見事討ち取って、手柄にせよ!」


 頼綱の悲痛な叫びは、風にのって北条軍の本陣まで届いた。

 本陣の床几に腰を据える北条氏直に、母衣武者から注進が入った。

「薩摩守、もの狂いのご様子。馬上、荒れ狂い、手がつけられませぬ」

「なんと!将の身で自ら斬り込んできたと申すか」

「御意」

 しかし、何故?


 直後、風魔小太郎が氏直の耳に何事かささやいた。

「なんと!左様であったか。ご鍾愛しょうあい姫御子ひめみこを亡くされ、死を望んでおられるというか」

「はっ」

「ふむ。溺愛いかばかりか」


 頼綱の死を願った自暴自棄の奮戦に、氏直は攻めあぐねた。

 だが、頼綱自身も矢傷を負い、愛馬を失くした。

 そして、睨み合いがつづくこと数日――。

 物見の兵が氏直に急報を入れた。

「真田軍、吾妻街道より迫っておりまする」

「ふむ。じゃがたいしたことはあるまい?」

「それが、上杉の援軍も加わり、侮れぬ軍容となっておりまする」


 それを聞き、北条氏直は麾下の武将に命じた。

「真田はともあれ、上杉はまずい。しかも、相手は勝ち戦さで勢いづいておる。ここは捲土重来を期し、撤退じゃ。小田原へ引き返すぞ」

 しかも、間もなく野陣の身にこたえる寒い冬が訪れようとしていた。そのためもあって、氏直は全部隊を小田原へと帰陣させたのである。


 死ぬことがかなわなかった頼綱は、鎧の肩を打ちふるわせ慟哭した。

「わしは死にたい。死にたいのに死ねぬ。なぜじゃ。天はわれを見捨てたもうたか!」

 干戈の響きはやみ、信濃と上州に静寂が戻った。


 昌幸は空を仰ぎ、ぼそっと一人ごちた。

「ま、こんなど田舎での合戦じゃ。あたかも碁盤の隅の戦いよの。さりながら、まずは序盤有利と申すべきか」

 晩秋の空に、碁石のような白い雲が流れゆく。

「ふふっ。できれば天下取りのような大戦さをしてみたいものじゃ。さて、次の一手、いかに打つべきか」

 徳川と北条の大軍を撃退した昌幸の武名は、一躍、天下に高まった。

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