第223話 三十郎咆哮―2

 愛馬の青鹿毛に騎乗して、暴れ狂う三十郎に誰もかもが逃げ腰になり、悲鳴がそこかしこであがった。

 たまらず大久保忠世の弟平助が、狂奔する青鹿毛の尻を槍でブスッと突いた。一瞬、馬は激しくいなないて、棹立ちになり、次の瞬間、三十郎は馬上から転がり落ちていた。


 三十郎は地に転がるや、憤然、大薙刀を構え直した。

 まだまだと、その顔に凄気があふれている。

「うぬら、生きて帰れると思うな!」

 三十郎が喉が張り裂けんばかりに咆哮したとき、その背後で鯨波げいはが噴いた。三十郎の手兵や幸村の隊が一団となり、猛然と殺到してたきたのだ。


「ござんなれっ!」

 忠世が吼えた。後は乱戦となった。


 敵味方しのぎを削り合う死闘の中で、佐助の眼は手投矢の射手を必死に追い求めていた。「何としても姫さまの仇を取らねば……」という一念であった。

 手投矢とは、投げ槍に近い特殊な武器である。

 佐江を死に至らしめたのは、三尺五寸ほどもある大身の手投矢であった。


 台地の上では一進一退の熾烈な戦いがつづいた。だが、海野六郎の弓隊が現れるや、その正確な攻撃の前に、徳川方は次々に弓矢の餌食となり、みるみる劣勢となった。敗色歴然である。


「ひくなっ、戦えっ!」

「ここが勝負の分かれ目ぞ!」

「ふんばるのじゃ!」

 逃げ惑う兵に向かって、忠世は絶叫した。

 しかし、その悲痛な叫びは、喊声の渦の中に掻き消された。


 そのとき、弟の平助が忠世に向かって叫んだ。

「兄者、もういかぬ。残念じゃが、本陣のある対岸に渡河し、陣を立て直そうぞ」

 弟の具足に、数本の矢が突き刺さっているのを見て、忠世は天を仰いだ。

「やんぬるかな!」

 三河武士としての意地もここまでであった。


「者ども、ひけいっ!」

 忠世の下知に従い、大久保隊は次々に神川の流れに踏み込み、本陣へと奔った。だが、それら兵卒の背にも矢が襲い、神川の流れは朱に染まった。

 忠世も平助も、悔しさに唇を噛んだ。

 

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