第222話 三十郎咆哮―1
それは一隊を率いた武将であった。
青鹿毛の駿馬に打ち跨り、幸村らの前に姿を現した武将は、野太い声を響かせた。
「若!いかがなされた」
佐江の兄、三十郎頼康であった。
三十郎の問いに、誰もが無言で目を伏せた。
そのただならぬ気配に、三十郎は太い眉根を寄せるや、視線を幸村の腕に抱かれる緋ずくめの若武者へと移した。
「む、むっ。そ、それは……!」
それは、おのが妹の佐江ではないか。
胸ににじむ鮮血、瞼を閉じた妹の顔を一瞥し、三十郎は愕然と色を失いつつも瞬時にすべてを悟った。
「うぬっ。徳川のきゃつら、許せぬ」
三十郎の眦が裂けたと思うや否や、馬上、大薙刀を振りかざし、単騎で敵に突進した。めざすは、敵の群がる高台の陣である。
その高台の陣から真田軍の動きを見つめていた大久保忠世は、わが目を疑った。
二丁ほど先から砂塵を巻き上げて、無謀にも一騎で迫って来る武者がいるではないか。
黒革威しの鎧に、黒羅紗の陣羽織。背には六文銭の指物をひるがえし、何やら怒号しつつ、猛然と奔り寄ってくる。
忠世はあわてて命じた。
「弓、射かけよ!」
だが、兵が弓をつがえるいとまを与えぬ疾風の速さで、その武将は忠世の目の前に乗り上げてきた。
「うぬらっ、一人たりとも生きて返さぬ!」
大柄な青鹿毛の鞍上から、三十郎が咆哮し、鬼の形相で敵を睨み下した。
たちまち雑兵どもの槍が襲ってきたが、三十郎が大薙刀を一閃させるや、凄まじい刃風が唸り、血煙りの渦となった。
おのが妹を殺されたのだ。
その憤怒が三十郎を衝き動かし、眼前の敵を薙ぎ払い、斬りまくった。その血雨に染まった姿は、まさに阿修羅であった。哀しみと怒りと怨みが総身から炎となって噴出し、猛り狂う鬼神の姿がそこにあった。
大久保隊の兵卒に怯懦の色が現れた。
三十郎頼康たった一人のために、揚羽蝶の旌旗が倒れようとしていた。
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