第221話 佐江姫散華

 飛雪丸に襲われながら、黒ずくめの男が放った手投矢はまっすぐに飛来し、佐江の胸を深々と貫いた。

「佐江さま!」

「姫さま!」

 火草と佐助が同時に悲痛な叫びを上げた。

 一瞬の油断をつかれたのである。

 

 佐江の胸からひと筋の血汐が噴き、緋ずくめの武者姿が馬上でゆらりとかしいだ。

 それは幸村をはじめとする誰の眼にも悪夢と映った。信じられぬ凶夢であった。

 逆光に照らされた、その紅い影が今しも馬上から崩れ落ちようとしたとき、さっと駆け寄った幸村が佐江の身体を両腕で受けとめ、静かに抱きおろした。


 鮮血がほとばしり、草のしとねをしとど濡らした。


「佐江、佐江どの!」

 幸村の声に、佐江の睫毛まつげが心なしか動き、次いでその瞼が薄く開いた。

 それを目にとめた火草が、声をふるわせた。

「このわたしめが至らぬばかりに……姫さま、佐江さま!」

 佐江の顔からみるみる血の気が引いてゆく。

 望月六郎、筧十蔵、由利鎌之助、海野六郎ら見守る誰もが悲痛な表情でこみ上げる嗚咽おえつをこらえた。


 幸村が両手で拝むように佐江の手を包んだときであった。

 ぐったりと力なく横たわる佐江が、もう一方の手をゆっくり動かし、何かを指さそうとしている。

 火草は、その指が差し示す北の方角へと目を遣った。

「あれに見えるは太郎山。太郎山にございまする」

 すると、佐江の唇が花びらのそよぎを見せた。

 残されたわずかな力を振り絞って、言葉を紡ごうとしているのだ。

「あれへ。あれへ、われを」

 

 そして、おのれの手を取る幸村の顔をその眸子に映しつつ、かすかに微笑み、とぎれとぎれにか細い声を漏らした。

「ヒノ……イチ……」

 その不思議な片言が最期の言葉であった。

 ふと佐江の腕から力が抜け、切れ長の眼からひと筋の雫が頬に伝い落ちた。それは幸村ですら初めて目にする佐江の涙であった。


「佐江どの!」

 幸村が去りゆく魂を呼び戻すように、叫びながら両腕で細い肩をかき抱いた。

 突然、佐助が「ヒイーッ」と身を叫んで、身をふるわせた。

 次いで、あばた面を天にグワッと向け、

「オラのせいじゃ!……オラの……」

 と、金壺眼から大粒の涙をあふれさせた。


 と、そのとき――。

 突如、馬蹄の音が近づいてきた。

「敵か、味方か!」

 望月六郎が太刀を鞘走らせ、由利鎌之助が槍を構えて、幸村と佐江を庇うように前に出た。

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