第220話 夜叉姫凛然―3

 疾駆する残月の鞍上あんじょう、佐江は重藤の弓に鏑矢をつがえた。

 佐江の弓馬の道は、武田流笠懸け。父頼綱に幼児の折から仕込まれた腕に覚えの技である。

 

 笠懸けとは、流鏑馬と異なり、実践に即した騎射術であり、平安の昔、笠を木にかけて射たことが笠懸けの由来と伝わる。

 流鏑馬と違って高低をつけた左右大小の的を騎射するため、難易度はきわめて高いものの、精妙の域に達すれば、敵の兜の目庇まびさしを狙うことも可能となる。


 きりきりと弓を引き絞り、佐江は高台に翩翻へんぽんとひるがえる揚羽蝶の旌旗に狙いをつけた。

「南無八幡!」

 一陣の風が、佐江の鬢をなぶった。

 高台へと吹き上げた強い風が、揚羽蝶の旗幟を巻き上げた瞬間、ひゅんと弓鳴りの音がして矢は放たれた。


 鏑矢は唸りを上げて飛び、揚羽蝶の旌旗にあやまたず命中し、その射ぬかれた勢いでさらに空の高みへと舞い上がった。

 揚羽蝶が空を舞い飛ぶ。

 ひらひらと舞い飛ぶ。


 幸村はそれを目にとめた。

 そして、麾下の兵に向かって叫んだ。

「返せ。あの高台は敵の陣ぞ。馬首を返すのじゃ」

 この幸村の声は、佐江の耳にも届いた。


「源次郎さま。お気づきになられまいたか!」

 引き返してくる隊の先頭に幸村の姿がある。そのすぐうしろから望月六郎、筧十蔵、海野六郎、由利鎌之助らがつづく。

 佐江が安堵したかのように唇をほころばせた瞬間、ひとつの黒い影が残月に向かってひそかに忍び寄っていた。


 それを見た飛雪丸が、ビィーッと警戒の鋭い鳴き声を発して、素早く翼を畳むや、上空から滑空し、黒い影に向かってほぼ垂直に襲いかかった。

 飛雪丸の刃のような爪が、黒い影に一閃した。

 黒い影。それは黒ずくめの身形みなりをした大兵の男であった。

 飛雪丸に襲われた男の顔から鮮血がほとばしった。

 しかし、それにも怯まず、男の手から一本の手投げ矢が放たれた。

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