第218話 夜叉姫凛然―1

 さて、矢沢城から愛馬残月に騎乗し、城門を躍り出た佐江は、半刻後、兄三十郎頼康の軍勢に追いついていた。

 最後尾の列に加わった佐江に、誰一人目をとめない。熾烈な戦場は目前に迫っている。前から敵味方の咆哮、銃声が聞こえてくるだけに、誰もが血走った目で前方を見据え、馬を進めている。人のことなど構っていられないのだ。


 軍勢が国分寺表にさしかかったとき、二丁ほど先のところに黒々とした敵のかたまりが目に入った。

 先頭を馳駆する三十郎頼康が咆えた。

「者ども、かかれいっ!」

 その号令一下、五百余の兵は喊声を上げて、群れなす徳川勢に突っ込んだ。

 たちまち血風しぶく白兵戦となった。


 敵味方も判然としない乱戦の中で、佐江は幸村の姿を探した。残月のすぐ横で佐助

が四囲に目を走らせる。

 いつしか佐江と佐助は、神川と千曲川が合流する辺りまで進んでいた。そこは最前線である。首のない鎧武者や足軽らの死体がいたるところに転がり、酸鼻をきわめる状況を呈していた。


「姫さま、あれを!」

 佐助の指さす丑寅の方角に目をやると、そこには六文銭の旗指物をひるがえす隊列が見えるではないか。

 その先頭をゆく騎馬武者は、鹿の角の兜、背には猩々緋の陣羽織。

「あっ、源次郎さま!」

 幸村の姿を目にした佐江は、「やっ」と残月の馬脚を煽った。

 刹那、敵の長槍が佐江の背を襲った。その穂先が今にも佐江にふれようとしたとき、佐助が宙に飛び、槍のけら首を貞宗の脇差で斬り落とした。それは目にもとまらぬ早わざであった。


 さらに、もう一人の足軽が走り寄ってきて、佐江の背を突こうとした。佐助がハッと気がついた瞬間、その足軽は首根から血をしぶかせていた。

 血煙の向こうに、ちぬれた忍び刀を構える者がいる。藍染めの筒袖に黒革の四幅袴という姿――火草であった。

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