第215話 女の一念

 この合戦のはじまる二日前のこと。

 佐江は、太郎山神社に詣でていた。徳川との合戦を控えた折だけに、幸村の武運、そして真田家の勝利を願わざるにはいられない。

 拝礼を終えた佐江のすぐ傍らで、佐助がひざまずいて周りに目を走らせる。幸村から佐江の警護を命じられて、すでに二年の歳月が経過していた。


 辺りは森閑として物音ひとつとしてない。

 飛雪丸が空から舞い降り、佐江の肩にとまった。

 まさに、そのとき――。

 紅小袖をまとった佐江の躰から白いもやのようなものが放たれ、まぶしい光が全身を包んだ。それは、佐江がこの太郎山神社に詣でるたびに現れる現象であった。


 佐助は目を伏せた。

 ――いつもの後光じゃ。

 従前から領民らは口々に「佐江姫さまはオシラサマの化身」と噂していた。それが真実であるかどうかはともかく、佐助の目に佐江姫は天女として映っていた。


 その天女が一心に祈る。

「なにとぞ、なにとぞ、源次郎さまが毘沙門天の生まれかわりであることを示し給え。なにとぞ、なにとぞ、日ノ本一の武将ならしめ給え」

 佐江が足しげく太郎山神社に詣でるのは、ただこの一念からであった。

 夜叉は毘沙門天の眷属。なればこそ、おのれ自身が夜叉となりても、一命を賭して守り抜かねばならぬものがある。


「源次郎さま!」

 佐江は心の中で幸村の名を呼び、国分寺表へ向かって急いだ。

 南へ、国分寺表へ!

 佐江の気持ちがのり移ったのか、愛馬残月は歯を剥いていななき、矢のごとく疾走した。

 風がヒュッと鳴り、薄桃色の耳朶を打つ。心に一切の迷いはない。

 しかし、かくも胸がたち騒ぐのは、なぜなのか。

 戦場が近づくにつれ、佐江はさらに激しい胸騒ぎを覚えていた。

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