第214話 夜叉姫出陣
佐江姫は矢沢城を打ち出て、愛馬残月の
残月は神川沿いの道を疾風のごとく駆けた。天空には佐江の
逸り立ち、まっしぐらに疾駆する残月の脇には、小兵の男が跳ぶがごとく並走していた。佐助だ。その足の速さは、到底人間業とは思えない。
馬上、佐江が声をかけた。
「急げ、佐助。急ぐのじゃ」
佐助が、あばた面に困惑の色を浮かべて言った。
「姫さま。オラはこれでも急いでおるつもりでごぜえます」
「おおっ、左様であったか。心せくままに慮外なことを言うてしもうた。許せ」
「それより、こんなことをして兄上さまに叱られてもしりませぬぞ。お城へ引き返すわけにはまいりませぬか」
「何を申す。源次郎さまをお守りするのじゃ」
忍びの者の報せによると、合戦の場はすでに城下から国分寺表に移っているという。そこは、矢沢城から南に下ること、二里足らずの距離である。
「わが目と鼻の先で源次郎さまが戦ってらおれる。それなのに女というだけで何もせぬ、何もできぬでは情けないと思わぬか。佐助」
「………」
今から八年前、佐江は太郎山の麓で、はじめて幸村と出遭った。まだ数え10歳の少女であったが、以来、佐江の胸中には幸村に対する思慕の念が清冽な泉のように湧きつづけ、涸れることはなかった。
残月の馬脚をひたすら煽りつつ、佐江は紅の唇を悔しげに噛み、つぶやいた。
「此度の合戦さえ起らねば……」
幸村との婚儀が日延べになることもなく、すでに輿入れも無事に終わっていたことであろう。
家康はかつて真田家当主昌幸の暗殺を企て、今また大軍をもって真田の地を蹂躙しようとしている――佐江の心の中に、徳川を忌み嫌う感情がつのったのは、無理からぬことといえよう。
佐江は重藤の弓を太郎山に向けて振りかざした。その頂上には太郎山神社がある。
「太郎山の神よ、わが弓矢の腕、ご照覧あれ」
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