第207話 上田合戦―1

 真田昌幸と根津甚平は、碁盤を囲んでの談笑をつづけた。白の昌幸が優勢かに見えた。

 そのとき、鎧の草摺を鳴らしながら、伝令が駆け込んできた。

「敵いよいよ近し。お下知を!」

 伝令の声が気負い立っている。

 昌幸は無念そうに碁盤を見つめた。

「甚平どの。碁盤はこのままにしておこう。つづきは、また後での」


 昌幸はゆっくりと立ち上がり、

「あーあ、年を取ると合戦も面倒よのう」

 と、兵の前で甲冑をことさら気だるげに身につけた。

 味方を落ち着かせるため、わざと悠揚迫らぬていを装ったのである。


 だが、すでにこの頃、徳川軍は大手門を打ち破り、二の丸の門に取りついていた。一気に城内に討ち入らんと、蟻のごとくひしめき合いながら、扉を壊している。

 このとき――。

 突如、落雷のような音が轟いた。

 門を破壊していた徳川軍の頭上に岩が落とされたのだ。つづいて大木が次々と落下した。


 火草率いるくノ一軍団の仕業であった。門櫓の上に吊るしていた大石や大木を一斉に切り落としたのである。

 五、六十人の徳川兵が、絶叫とともに押しつぶされ、辺りの地面はたちまち朱に染まった。断末魔の叫びと呻き声。そこには阿鼻叫喚の地獄絵が現出していた。


 馳走はそれだけではない。

 櫓の上、塀の狭間などから、鉄砲、弓矢が徳川軍に容赦なく撃ちかけられた。

 大軍を迎え撃つことをあらかじめ想定して、築城の段階で、昌幸は曲輪内はわざと狭く縄張りしていた。そのため、その狭い場所に二千人ほどの敵兵が押しかけ、あふれかえっている。無駄弾むだだまの余地のない、撃てば当たるという状況なのだ。


 徳川の将兵は、いたずらに矢玉の餌食となるばかりであった。

「こ、これはいかぬ」

 先鋒の兵があわてて大手口に引き返そうとしたが、そこは寄せかけた後続の兵で充満していた。蟻地獄にまったように、まったく身動きが取れない。昌幸の術中に陥ったのである。

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