第206話 真田ゲリラ戦―4

 真田軍二千弱に対して、徳川勢七千余。

 いかに緒戦とはいえ、三分の一にも満たない寡兵の田舎侍ごときに、天下の三河武士が敗れるとは――。

 まさかの失態であり、忍びがたい恥辱であった。悔しさと怒りと焦り。こうした感情が入りまじり、徳川全軍は完全に冷静さを失った。冷静さを喪失すれば、戦略眼が曇り、統制のとれない猪武者の寄せ集まり、すなわち烏合の衆と化す。


 ここで改めて徳川軍の主だった将を列記しておく。

 大久保忠世

 柴田康忠

 鳥居元忠

 平岩新吉

 大将格のこの四人に、岡部長盛、大久保忠佐、松平康安などが従い、これらの徳川家家臣団に加えて、信濃先方衆として諏訪頼忠、保科正直、依田泰国、矢代勝永らが従軍していた。


 徳川四天王といわれる酒井、本多、榊原、伊井が加わらぬものの、錚々たる顔ぶれの陣容であった。

 しかしながら、今回の遠征軍における総大将は誰なのか、と問われれば、誰も即答できない。

 かろうじて全軍の総帥たる資格のある者といえば、もっとも年嵩の大久保忠世その人であろうという程度の危うい指揮系統であった。


 しかも、この軍は高台に本陣を置かず、戦況を客観的に俯瞰する者が一人としていなかった。

 さらに言えばである。

 徳川全軍は上田城を攻略することのみを考えていた。そのため、砥石城などをはじめとする真田の支城に対して抑えの兵を配置していなかったのである。


 緒戦で惨敗を喫した徳川軍は、ただ多勢を恃み、

「このような小城、一気に揉みつぶすべし」

 と、すさまじい怒号を上げて上田城に殺到したのだ。


 一方、上田城主の真田昌幸は、本丸で根津甚平と碁を打っていた。碁仲間であり、かつ謀将同士であるため、昔から気が合う。

 碁盤に目を落としたまま、昌幸がぼそぼそとした声で甚平に語りかけた。

「忍びの者によれば、寄せ手の大久保忠世どのは、猪突猛進の猪武者らしく、頭から湯気を出し、全軍総がかりで攻めよと咆えているとか」

 これに、甚平がふふっと片頬笑んで応じる。

「猪なればこそ、いとも容易に罠にかかったのでござろう。さて、どのように料理してくれよう」

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