第205話 真田ゲリラ戦―3

 美々しい若武者は、町屋の屋根の上から、よく透る声を凛々と張り上げた。

「徳川の皆様、よくぞお越しくだされた。大儀に御座候」

 茫然と見上げる足軽、雑兵らに若武者が朗々と名乗りを上げる。

「われこそは、清和天皇のすえ貞保さだやす親王を始祖にいただく根津家二十代当主たる根津甚平是行これゆきの一子、根津小次郎甚八なり」


 呆気にとられた表情で見上げる徳川兵に、甚八が言葉をつづける。

「ここまでお出でくださった御礼に、土産を馳走いたす。冥土の閻魔えんまに持ってゆかれよ」

 眉目涼やかな若武者の手から、きらきらと光りかがやく玉粒が放たれた。


 それを手のひらに取った雑兵が歓喜のおめきを上げる。

「おおっ、黄金じゃ。金の銭じゃ」

「うわっ。これは甲州金ではないか。拾え、拾い集めよ」

 甲州金とは、武田信玄の頃から、主に戦功をあげた家臣らへの褒賞用とされた金貨である。碁石金とも呼ばれる。


 黄金の魔力は、小路にひしめく士卒を大混乱に陥れた。騎馬武者ですら馬から飛び降りて、路上にばら撒かれた金を拾いあさったのだ。

 その醜い有様を目にして、若武者は金色の扇を開き、宙にひらりと舞いひるがらせた。

 その途端――。

 たちまち屋根の上や、葦簀の陰、はたまた破れ戸などの隙間から、弓鉄砲の一斉射撃が起こり、徳川方の死傷者は数知れずの惨状を呈した。


 根津甚八の華麗な初陣であった。

 陣八の父甚平は、十六歳の嫡男の出陣にあたって、その武者姿を美しく整えさせるとともに、百余の兵を与えて送り出した。

 無論、この城下での奇計も甚平の入れ知恵であった。

 嫡男の甚八に、なんとしても華やかな初陣を飾らせるべく機略に富む一計を授けていたのである。


 緒戦に惨敗を喫した徳川方は、ますます頭に血をのぼらせた。冷静さを完全に失って、まさかの迷走をはじめたのだ。これはいのしし武者の多い三河武士の最大の弱点であり、真田方はそれを見事に利用したといえよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る