第200話 幸村参陣―1

 八月末、佐久に陣営していた徳川軍は、その後、海野平に出て軍議をもった。

 半蔵の手の者によれば、

「真田の兵は、雑兵らを合わせても二千に足らざるなり」

 とのことである。


 徳川の諸将は、真田の兵の少なさを聞き、せせらわらった。

「グハハッ、たった二千か。わが軍の三分の一以下の兵ではないか」

「ったく、張り合いのないことよ」

「では、戦略や策など議さずともよい。ただ一気に押しつぶすのみ」

 かくして軍議を早々に打ち切り、全軍七千余がまっすぐ上田城へと、鼻息も荒く進軍した。


 ちなみに、この天正13年(1585)は閏年のため、八月が二回ある。


 閏八月二日早暁――。

 幸村は二百余の精兵を率いて、神川のほとりに陣を構え、徳川の先鋒部隊を今や遅しと待ち受けていた。

 向こう岸から馬のいななきが聞こえてきた。雑兵どものざわめきも風に乗って流れてくる。敵の先陣が渡河しようとしているのだ。


 このとき、幸村の腰には、美しい鹿毛の箒鞘ほうきざやにおさめた太刀ひと振り。銘こそないが、それは天下に隠れもなき五郎入道正宗作の名刀であった。

 朝靄の中で、幸村は静かに太刀を抜き、美しく澄んだ丁子ちょうじ乱れの刀身をじっと見つめた。

 戦いを前にして、心気しんきしずめたのである。


 ――この日の五日前のこと。

 その日、春日山城に出仕した幸村に、景勝は上段の間から、大きな声を落とした。

「そちの参陣、許す!」

「ははっ」

 その唐突な景勝の声に、幸村はわけの分からないまま平伏した。

 そのとき、景勝の脇にひかえる家老直江兼続が、主君のあまりにも言葉足らずの隻句せっくを引き取った。


「当家の軒猿のきざるの報告によれば、いよいよ徳川軍が上田に迫り、風雲急なりとか。真田家の存亡をかけたこの一戦、お手前もさぞや気がかりなことでござろう」

 軒猿とは、上杉家忍者集団の呼称である。

 幸村は平伏したまま、兼続の次の言葉を待った。

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