海石榴さま
こんにちは。
上杉家が義を重んじる誇り高い士風を持っていたということが、この時代に疎い自分にとってとても興味深いことでしした。
一方で、そのような家風を維持し続けるためには、それを支えるある程度のゆたかさ、経済的基盤が必要かと思います。上杉家はどうだったのでしょうか?
作者からの返信
鋭い視点ですね。
上杉家は越後の米どころを領有していますから、
年貢だけでも他藩と比べてまあまあ裕福でした。
でも年貢収入以上に、
越後上布という布を製造し、
それを京阪などで売りさばき莫大な収益をあげていました。
また直江津などの港の津料(港湾利用税)だけでも
年間60億円近い収入がありました。
信長が天下を制したのも、
濃尾平野の米、津料、知多湾交易の利益など、
同じような理由による軍資金が潤沢にあればこそです。
すごく気にいられたんですね
すぐ所領を与えようとしてるΣ(゚ロ゚;)
作者からの返信
そうなんです。
景勝は幸村が越後での暮らしに差し支えがないよう、
配慮してくれました。
のちに、秀吉にも気に入られ、
親衛隊ともいうべき馬廻り衆に引き立てられます。
ひゃー、すごい圧ですね、景勝。流石は謙信公の後継。幸村が厚遇されたのは、単に気に入ったからでしょうか、それとも政治的判断でしょうか。
作者からの返信
当時、若い幸村は、美童だったかもしれません。景勝は衆道趣味がありました。しかも、景勝は無口で、余計なムダ口を嫌いましたから、無口な幸村をその点でも気に入ったのかもしれません。