第196話 上杉家の士風―4

 上杉景勝は、幸村のことが大いに気に入ったようである。

 直江兼続が、

「殿、信繁どのに、一言お声を」

 と促すや、突然立ち上がり、上段の間から大音声を落とした。

「真田源次郎。此度の儀、誠に神妙なり!!」

 それは、居並ぶ重臣らの腹に響くような雷鳴のごとき大声であった。

 つづけて兼続に向き直り、下命した。

「源次郎に所領を与えよ」

「ははっ」


 人質というに、幸村に対して、信州屋代やしろ(千曲市)に一千貫の領地を与えたのだ、これに加えて、昌幸には「向後こうご、真田家に手違い、謀叛の噂があろうとも、是に惑わされず情をかける」と、真田家に破格の待遇を約束した。まさに異例のことであった。


 景勝のこの手厚い処遇は、ただちに上杉家中に知れ渡った。爾後じご、兼続ら重臣をはじめ、上杉家中の将士は、幸村を人質ではなく「客将」として遇することになる。


 かくして幸村は客将として春日山に出仕することになり、景勝のもとで上杉家の義を重んじる誇り高い士風にふれ得た。

 謙信が書き残した上杉家の家訓「宝在心」十六箇条の中に、

 ――心に欲なき時は義理を行う、とある。

 さらに、

 ――心に私なき時は疑うことなし

 ――心に誤りなき時は人を畏れず

 ――心に貪りなき時は人にへつらうことなし、などともある。

 全文の列挙は控えるが、義将謙信の精神の有様が偲ばれる条々といえよう。


 こうした清廉かつ毅然たる士魂は、領土拡大にひたすら邁進する餓狼のごとき北条、徳川をはじめ、旧主の武田家にも無縁のものであった。また、謀略に活路を見いだし、時の権力者の間を泳いできた真田家にも縁遠いものと思われた。


 この乱世において、領土を求める戦いの行く末は、奈辺にあるのか。天下をのぞむ戦いに、果たして義はあるのか。

 幸村は越後に来て、はじめて海を見た。その眩しくきらめく海原を前に、いかなることを感じ、考えたのであろうか。

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