第194話 上杉家の士風―2

 さらに言えば、上杉景勝はみずから毘沙門天の化身と称した謙信同様、物事を利害のみで判断することがない。

 景勝はおのれの価値基準として、「正」か「邪」かということに最も重きを置いた。ゆえに俗臭のただよういやしげな人物をはなはだ嫌う気質を有していた。


 しかし、それだけに、景勝の直観は神がかりとも言えるほど鋭い。

 ひと目見ただけで、その人物の器量を見分けられる眼力があるのだ。


 某日、幸村は、春日山城の大広間にて景勝に拝謁した。

 大広間の左右には重臣が居並び、その上座である上段の間には景勝が目を吊り上げて座す。

 このとき幸村19歳。稀に見る美童ぶりに一同の視線が集まったのは申すまでもない。

 景勝の前に進み、深々と拝跪はいきし、名乗りを上げた幸村に、直江兼続が朗々と声をかける。

「真田源次郎信繁どの、大儀である。面を上げよ」

「ははっ」

 この時代は、面を上げよと言われても、作法として一回目は上げてはならない。幸村は平伏して二回目の許しを待った。

 ややあって再び兼続から声がかかった。

「信繁どの、面を上げなされ」

「ははっ」

 幸村はゆっくりと上体を起こし、景勝と対した。

 上段の間から景勝は無言で幸村を見据えた。凛として動じず、媚びず、必要以外の言葉を発しない、その従容自若しょうようじじゃくにしてそうたる姿は、まさに景勝の意に叶うものであった。


 真偽のほどは定かではないが、『奥羽永慶軍記』によると、景勝は極端な女嫌いで、衆道好むこと一方ならず、かたわらにはもっぱら美しい児小姓を侍らせていたという。

 家名の存続が至上とされる時代において、景勝は49歳に至るまで子をもうけることをしなかった。この事実は、やはり景勝のその種の性癖を物語るものであろうか。

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