第193話 上杉家の士風―1

 地蔵峠を下り、川中島へと進んだ幸村は、ひとまず海津城に入った。この城は前にも述べたとおり、城代は須田満親である。上杉景勝麾下の武将として重きをなし、上杉家の若き家老直江兼続に次ぐ股肱の臣であった。


 ここで幸村は二、三日滞在し、その後、満親の先導で景勝の居城である春日山城に入ることになる。

 春日山城は、もともと越後守護上杉家の居城として南北朝の頃よりったものであるが、これを本格的に整備したのは、謙信の父為景ためかげであり、その後、謙信、景勝と代が進むにつれて全山要塞と化した。


 本丸からは所領の頸城くびき(高田)平野が一望でき、西北の方角には日本海が見渡せる。

 幸村らは城の壮大さとともに、雄大な眺望に圧倒された。

「さすが越後90万石でありまするな」

 望月六郎が思わず感嘆まじりに漏らした言葉に、幸村はうなずき返した。


 武人としての景勝は、前述したように恐ろしく無口である。家臣は景勝が笑った顔を見たことがない。

 道を行くときは目を吊り上げ、こめかみに青い癇癖かんぺきの筋を浮かせ、左手は必ず脇差の柄頭に置く。そして真正面に顎を定めて、左右を一顧いっこだにしない。


 越後の将士その威に服すること、さながら謙信に接するがごときであったという。

 この景勝には面白いエピソードがある。

 あるとき、景勝や家臣らが一艘の舟で川を渡っていた。しかし、どうも乗船人数が多すぎたのか、舟が不安定になり、沈みそうになった。

 景勝が珍しく声を発した。

「飛び込め」

 すると、景勝と船頭を除く全員が、躊躇することなく川の中に一斉に飛び込んだのである。

 越後の将士にとって、景勝は神のごとき絶対的存在であったといえよう。

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