第192話 臥龍の眼差し―2

 霧隠才蔵は森陰の気配を察知し、それがただならぬものであることに勘づいていた。

 ――真田忍びには、陰守りの佐助という手練れがいると聞いたが、もしやそいつか。才蔵は佐助という忍びの術者にすこぶる興味があったが、ならばこそ、長居は無用であった。ここで、つい要らぬ術の掛け合いをして、時間をとられたくない。才蔵は越後の上杉景勝にも拝謁して、千代乃の書状を渡すという任務をおびていた。


「しからぱ先を急ぐゆえ、これにてご免」

 くるりと踵を返した才蔵の背に、矢沢三十郎が声をかけた。

「して、才蔵どの。千代乃さまは今いかに」

 振り向きざま、才蔵は冷ややかに言い放った。

「相すまぬが、雇い主からの伝言以外、一毫いちごうたりとも口にできぬ」

「では、千代乃さまの消息につき、大殿の昌幸さまはご存じであられたのか」

「それも申せぬ」

 木で鼻をくくったような才蔵の返答に、三十郎はむっとした表情を見せた。


 その三十郎に代わり、幸村と瓜二つの望月六郎が穏やかな口調で語りかけた。

「才蔵どの。願わくば、千代乃さまにお伝えいただきたい。此度のご厚志、まことにかたじけなし、と。また、いずれ主命を果たし、ご本懐を遂げられたあかつきには、この信濃にお戻りくださること、心待ちにしておりまする、と」


「承知つかまつった。しかとお伝えいたす。では……」

 才蔵は背に十字架の銀刺繍がほどこされた緋羅紗の陣羽織をひるがえした。


 才蔵の姿が消えた直後、雨が昏い空からポツリと落ちてきた。

「これはいかぬ。本降りになる前に、どこかで雨宿りをするに如かず」

 海翁があわてた声をあげた。

 佐助が才蔵のあとを音もなく追った。

 この不可思議な伊賀者が、この先、何をしようとするのか、突きとめたいと考えたのである。

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