第191話 臥龍の眼差し―1

 才蔵は幸村と目を合わせた。

 合わせたばかりではない。ゆっくりと右手を脇差の柄頭に置き、傲然たる目つきで睨み返したのである。

 

 瞬後――。

 才蔵の碧眼にたじろぎの色が浮かんだ。

 それは、「われに敵なし」と自負する、この傲岸不遜な伊賀者にとっても、思いもかけぬことであった。

 

 くらい負けという言葉がある。


 人には、もって生まれた品位があり、品格があるのだ。その品位・品格の「心の鏡」を日々邪心なく切磋琢磨すれば、おのずと「位の気韻」というものが身につき、人としての器が大きくなってゆくものなのである。

 

 才蔵は幸村の冴々とした双眸のかがやきに、それを見たのだ。

 幸村の眸子ひとみには、才蔵自身の心底まで見透かされるばかりか、魂までわし掴みされるような気韻を含んでかがやいていた。


「この若殿、先程から暗愚のごとく押し黙り、突っ立っておったが、これは並の器量ではない。威あって猛からず。さすが千代乃どのの腹を割って出てきた御曹司じゃ。これは、もしや風雲のときを待つ臥龍やもしれぬ」

 ふと、才蔵の胸にそのような思いがよぎった。

 このとき才蔵自身はそれとは気がつかなかったが、われ知らず位負けしたのだ。


 近くで雷鳴が轟き、稲光が走った。樹陰に覆われ、薄昏い峠道が、一瞬、煌々と照らし出された。

 才蔵は、改めて幸村を守る一人ひとりの面上へ視線を移した。

 これまで長剣のみを頼りに、血風の只中に生き、修羅の道を歩んできた才蔵であった。それだけに、人の醜さや無情を思い知っていたが、目の前にいるどいつもこいつも一途で純な眸子ひとみを持っているではないか。


 才蔵は心の中で毒づいた。

「こやつら、間抜けな忠義づらをしおって。あるじのためなら、死をもいとわぬと顔に書いておるわ。なんとも無邪気なことよ。ええいっ、なぜかしゃくにさわる。いっそ、ぶった斬ってやるか」


 そのとき――。

 才蔵は森陰で気配をじっと殺して、自分を見つめている視線を敏感に察知した。

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