第189話 千代乃からの伝言―1

 地蔵峠の昏い空に稲妻の閃光が走り、雷鳴が轟いた。稲光が幸村ら一同、そして霧隠才蔵の顔を照らす。


 海翁が才蔵に問うた。

「われらを襲った、この者らは……?」

「外道の風魔でござるよ」

「もしや、われらは待ち伏せされたのであろうか」

「おそらく左様でござろう。風魔は北条の飼い犬。真田家の御曹司が、上杉家との盟約のため、春日山城へ向かうという噂を聞きつけ、邪魔だてを企てたものと存ずる」


 ここで望月六郎が、声をあげた。

「才蔵どの。では、おぬしも、われらがここを通ることを……?」

「ふふっ。蛇の道は蛇と申す」

 再び、稲妻が光り、雷鳴が遠く近くで轟いた。

 その叢雲むらくもに覆われた空を、才蔵は見上げた。


 ややあって、才蔵は眼前の一同をゆっくりと見まわし、声を張り上げた。

「聞かれよ。拙者がここにおったには、理由わけがある。忍びは、おのが技倆を切り売りするが、ここ数年、拙者は一人の女人にょにんに雇われ、大枚の銭をはずんでもろうておる」


「女人とな!」

 海翁の驚いた顔に、才蔵が向き直った。

「左様。わがあるじは女人である。しかも、貴殿らが知らぬはずのない女人であられる。今の名は申せぬが、若き頃の名は千代乃どの、と申されておったよし

「なんと!」

 その場に居並ぶ一同の口から、図らずも同じ驚愕の声が漏れた。


 才蔵が発した千代乃という名は、誰しも忘れもしない、失踪した幸村の母御前ははごぜのものではないか。

 当の幸村は無論のこと、三十郎ら全員が双眼を大きく見開き、才蔵の碧眼を見つめた。

 森の暗がりで、佐助もまた耳をそばだて、才蔵の次の言葉を待った。

 

 息をのむ一同の前で、才蔵はさらに声を張りあげた。

「その千代乃どのは、京の都におられる」

 稲妻に打たれたように、皆にさらなる衝撃が走った。

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