第188話 霧隠才蔵―4

 海翁から名を訊かれて、異形の切支丹剣士は、一同の顔をゆっくりと睨めまわしてから、おもむろに応えた。

「名乗るほどの者ではござらぬが、名張の才蔵と申す」

 この名乗りに、甲賀望月氏の本家筋の血胤たる望月六郎が驚きの声をあげた。

「名張とな。さすれば、伊賀の……もしや、おぬしが、かの有名な霧隠才蔵どのであるか」


 ――案の定、霧隠であったか。

 森陰にひそむ佐助は、一同の様子を注意深く見守りつつ、やはりと得心していた。

 

 霧隠才蔵。

 噂によれば、この混血の伊賀者は、家康に仕える服部半蔵とは腹違いの兄弟という。

 この当時、東シナ海では、明国の厳しい取り締まりにもかかわらず、倭寇と呼ばれる海賊が跳梁跋扈していた。船首に八幡大菩薩の大旗を掲げ、中国船はもとより、スペイン、ポルトガル、イギリスなどの南蛮人商船を次々と襲い、蹂躙の刃は海をあけに染めた。


 才蔵の母は、この倭寇に拉致されてきたバテレンのオランダ女であったと聞く。服部半蔵の父保長やすながは、この碧眼・赤髪のオランダ女を堺の人市(奴隷市)で見染め、おのれとの間に生まれた男児を伊賀随一の手練れに育てあげた。

 それが才蔵である。


 しかしながら、才蔵の気性たるや、生来、奔放不羈。とても狭い伊賀の里におさまる器ではない。異母兄弟の半蔵とも性格が合わず、ことごとく対立した末に、五年ほど前に伊賀を出奔したとの噂であった。

 その後、切支丹武将である明石全登てるずみや高山右近のもとで食客をしていたというが、ここのところの動静は不明であった。


 その天下に隠れもない伊賀者の才蔵が幸村らの前に、突如として姿を現したのだ。何か事情めいたものがあるはずに違いない。 

 甲賀忍びの血筋をひく望月六郎は、眉宇びうをひきしめた。

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