第187話 霧隠才蔵―3

 観音堂の薄昏がりから、切れぎれながらも地を這うような低い声がした。

「ほ、法師どの……」

「おおっ、なんじゃ」

「悪いが……熱さましの薬を持ってられぬか」


 海翁が近づいてみると、白皙碧眼へきがんの若武者が、額に玉の汗を浮かべ、力なく座り込んでいた。その腕に抱くのは、鞘と鍔に十字架の金象嵌ぞうがんが施された見事な長剣だ。

「おおっ、ひどい熱じゃ。これは霍乱かくらんた」

 霍乱とは、今でいう熱中症のことである。


「ここ数日、やたら暑い日がつづいたからのう」

 と、言いつつ、海翁は、薬籠やくろうの中から、生薬の白虎びゃっこを取り出し、異風の武士に服用せしめた。

「かたじけない」

「困ったときは相みたがいよ。少しねむりなされ。さすれば、本復ほんぷくされよう。愚禿もしばし横になるとするわい」


 海翁は雨がやむまで束の間の休息を取る心づねりであった。

 が、その心算しんさんとは裏腹に、旅の疲れもあってか、つい寝入り込んでしまった。一刻ほども睡りふけてしまったのであろうか。気がつくと、例の若武者の姿がない。

 生薬の礼のつもりか、海翁の頭陀袋ずだぶくろの上に、何やら置かれてある。


 手に取ってみると、それは紐のようにしなやかに細工された銀の鎖であった。しかも、鎖の先には金の十字架がかがやいていた。

「ほう。これが切支丹の申すロザリオなるか」

 海翁は雨あがりの陽光の中で、巨眼を細めてまじまじと美しいロザリオを見つめた。

 そうしたいきさつが、海翁と異風の剣士の間にはある。


 海翁が長剣を背の鞘におさめた若武者に近づき、一揖いちゆうした。

「あやういところを助けてもろうて、かたじけない。礼を申す。われらは、ゆえあって越後の春日山城に参るところ。これなるお方は、真田家の若君、源次郎さまに

ござる」


 馬上からもむろに降り立った幸村に、海翁が異形の切支丹剣士を引き合わせた。

 剣士は碧眼の目元にかすかな笑みを浮かべ、「これは……お噂にはかねがね」と、言葉少なに挨拶した。その態度や言葉に、何か訳知りの感じが漂う。


 しばし沈黙の間があった後、海翁がはたとおのれの頭を叩いて、問うた。

「そうじゃ。うっかりしておったわい。お手前の名をまだ聞いておらなんだ」

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