第186話 霧隠才蔵―2

 佐助は森の影で息を殺して、幸村ら一行の様子を見守った。

 その佐助の耳に、三十郎らに遅れて峠の修羅場へと至った海翁和尚の念仏の声が響く。虚しく死んだ賊徒らに仏法による引導を渡しているのだ。


 ややあって――。

 海翁が、白皙の若い武士に目を遣って、驚いたような声をあげた。

「おおっ、お手前は、あの折の切支丹どのではないか。まさか、かようなところで再会するとは……これぞ奇遇なり」


 海翁の言う「あの折」とは、今から半月前のことである。

 越後春日山城で旧主の上杉景勝に拝謁後、海翁はその日、急ぎ信濃へと引き返していた。

「一刻も早く、上田の昌幸どのに、事の首尾を報告せねばならぬ」

 その思いで、足取りもつい速くなる。


 心せく帰路であったが、途中、雷鳴が西の空に轟き、たちまち大雨に見舞われた。

 驟雨しゅううが海翁の破れ網代笠を叩く。ずぶ濡れの黒衣が、躰に重くまとわりつく。

「これは、まいった……」

 海翁は雨宿りのできる場所を探し歩いた。すると、半丁先の路傍にひっそりと観音堂が雨にけぶるように佇んでいるではないか。

「やれやれ助かったわい。ここで、一服じゃ」

 

 海翁が観音堂に飛び込むや、仄昏い堂内になにやら人の気配がする。目を凝らすと、いちばん奥に先客らしき一人の男の影。

「いやはや、ひどい雨でござるな。わしは海翁という旅の坊主じゃ。先客のお手前には相すまぬが、雨があがるまて、ご一緒させてくだされ」

 暗がりからは何も反応がない。男は身じろぎもせず、一隅に寂として鎮まっている。


「もしや、行き倒れの者か。死んでおるのか……」

 との思いが脳裏をかすめたとき、男がかすれた声を漏らした。

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