第181話 盟約の人質―3

 人質として越後の春日山城に赴く、と決意した幸村の胸中には、内心秘するものがあった。

 それは、上杉家の独特の家風、士風に直にふれてみたいという強い願望であった。


 ――亡き不識庵謙信公は、領土も天下も望まず、ひたすらに義戦を貫き、その薫陶を受けた景勝公もしかりという。「切り取り剥ぎ取りは武士の習い」といわれる世にあって、何故に上杉家のみが義を事とするのか。上杉家がめざす天下静謐のための戦さとは、いかなるものなのか。

 幸村の胸のうちには、長年、その思いがあった。


 しかしながら、それは、おのれ自身が越後へ赴き、春日山城に身を置かねば、根雪ねゆきのように解けぬ問いであろうと思われた。

 幸村は昌幸に人質の役目を重ねて乞うた。

「兄上も、かつては武田家の人質として甲斐におわしました。順から申しましても、此度はわが務めかと存じます」


 昌幸は、幸村の双眸をじっと見つめた。

 その眸子ひとみから放たれる強い光は、決意の固さの現れであることは瞭然であった。

 昌幸はかすかな溜息をき、幸村から目をそらした。そして、何やら考えるように、満座注視の中、腕組みをした。

 水を打ったような静けさが広間を支配する。

 ややあって、昌幸が独り言のようなつぶやきを漏らした。

「ならば、二眼にがんの手でゆくか」


 二眼とは囲碁用語で、相手の陣地の中で自分の石を無事に生かそうとする手である。

 昌幸の頭の中に、「今後は上杉に叛くことは絶対にできぬ。早急に秀吉公ともよしみを通じ、二眼の策を生かし切らね……」という思いがよぎった。


 昌幸の囲碁相手をつとめる幸村には、二眼の手という言葉をただちに理解し、

「かたじけなく存じまする。では、早速、越後ゆきの支度に取りかかることにいたします」

 と、膝に手を置き、折り目正しく昌幸に一揖いちゆうした。

 すかさず矢沢三十郎頼康が、声をあげた。

「ならば、この三十郎、若のお供つかまつる。万が一のときは、若をお守りして討死にする所存。万事、心安くお任せあれ」

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