第180話 盟約の人質―2

 昌幸がわれ知らず漏らした言葉に、家臣らは驚愕するとともに、こうも考えた。

 ――不仲の正室たる山之手殿が産んだ嫡男より、愛妾あいしょうであった千代乃さまがもうけた子がいのは道理というものもしれぬ。

 ――もしや、大殿は源次郎さまのほうを跡取りとしてお考えなのではあるまいか。


 余談にはなるが、後年、徳川二代将軍に就いた秀忠は、家康の三男であり、正室の子ではない。秀忠の母「あ愛の方」は、家康が最も寵愛した側室であった。


 それはともかく、先程から昌幸の表情は渋い。幸村を上杉家へ人質に出したくないという風情がありありと窺えるのである。

 当の幸村本人は父親の苦虫を噛みつぶしたような表情を前に、

「親父どのにも困ったものじゃ。あのような迂闊うかつなことを言えば、家中の者に要らぬ誤解を与えよう」

 と、その場の雰囲気を冷静に分析していた。


 とはいえ、父親たる昌幸の気遣いをうれしくないと言えば嘘になろう。

 少年の頃、幸村は十二年もの長きにわたり、根津家に猶子ゆうしとして預け置かれていた。われは親に捨てられたか、という思いに堪え、肉親の愛情にかつえて育っただけに、そうした思いはひとしおであった。


 しかしながら、目下の真田家は、誰が見ても崖っぷちの状況である。徳川、北条との大勝負を前に、家臣に家督争いの溝をつくるようなことがあっては、前途はあやういものとなろう。この難局を乗り切るには、一族郎党が心をひとつにして結束し、一枚岩とならなければならないのだ。


 上杉家で起きた「御館おたての乱」のような家督をめぐっての内乱は悲惨であった。家臣同士が敵味方にわかれて、血を血で洗う死闘を繰り広げたのだ。

 あのような惨事を引き起こさないためには、幸村は次男としての立場を保ち、みずから人質になって越後の上杉家に入ることが上策と考えていた。

 さすれば、父昌幸はおのずと嫡男である源三郎を頼りにし、二人の間にある微妙な溝も徐々に埋まっていくことであろう、とおもんばかったのであった。


 幸村はどこまでも優しかった。奇妙なほどに優しかった。

 この自己犠牲の精神が、大坂冬の陣・夏の陣において、死をいとわぬ真紅の華となって炸裂するのである。

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