第179話 盟約の人質―1

 直江兼続の言葉は、すなわち主君たる上杉景勝の言葉である。

 景勝が「後詰めの援兵」について海翁に朗々と宣言するや、大広間の上座から神のような言葉が落ちてきた。

「佐馬允、大儀!」

 この景勝の一声に、海翁は瞼を潤ませて長々と平伏した。


 版図拡大の野望を逞しくする徳川、北条と対抗するためには、景勝もまた昌幸の力を必要とした。これまでの遺恨に目をつぶり、真田家を傘下に置けば、上杉の勢力は東信濃にまで一挙に拡大するのである。

 ただし、上杉が昌幸に手を差しのべ、味方するからには、当然ながら一つの条件が提示された。真田家から人質を差し出すべしということである。


 海翁からここまで聞いて、幸村は即答した。

「春日山へは、手前が参りましょう」

 それは、穏やかながらも決然たる口調であった。

 直後、上田城北櫓の板敷き広間は、水を打ったように静まり返り、三十郎頼康や海野六郎らをはじめ、重臣一同が粛然と幸村の横顔を見つめた。


 このとき、昌幸がかろうじて聞きとれるぼそぼそ声で、上座からつぶやくように応じた。

「ほう。そなたが越後へ参ると申すか」

「はい」

「ふむ。岩櫃の源三郎という手もあるがのう」

「兄上は真田家の惣領でござります。いざ合戦となれば、上田にて父上の脇を固めねばならぬ身。となれば、今この真田家という盤上で自由に動かせる碁石は、手前しかおりませぬ」

「なれど、人質はいつ命を絶たれるか、わからぬぞ。ともすれば、あやういものとなろう……」

 

 これを聞いた家臣らは、内心驚愕した。

 では、嫡男の源三郎なら、危地に追いやっても、たとえ死んでもよいのか――。

 嫡男より、次男坊のほうがかわいいのか――。

 何の気なしに、昌幸が発した言葉は、広間に居並ぶ一同に大きな衝撃を与えていた。

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