第178話 上杉家への使者―3

「真田家の窮状をお伝え申したところ……」

 そこまで話して、海翁は呵々大笑した。


 三十郎頼康がけげんな顔で尋ねる。

「和尚、いかがされた?」

「いや、申し訳ござらぬ。思い出し笑いをしてしもうた。ご無礼、許されよ」

 海翁が言うには、景勝は微動だにせず、前を向いているのみであったという。これは、景勝が喜平次と呼ばれていた幼い頃からの癖で、海翁はそれを思い出したのだ。


 あまりに景勝が黙っているので、景勝の脇に控えていた若き家老の直江兼続かねつぐが代わりに言葉を発した。

「海翁どの。信濃からの夜を日に継ぐ道中、さぞやお疲れのことと存ずる。今日のところはこれまで。今宵はゆっくりやすまれ、また明日の朝といたそう」

 景勝のもうひとつの癖は極端な無口である。家臣といえども、景勝の言葉を滅多に聞いたことがない。

 ゆえに、景勝の小姓として幼少の頃より近侍する兼続が、主君の意を汲んで常に代弁者の役割を果たしていた。


 この直江兼続という人物は、『名将言行録』によれば、「たけ高くして姿容しよう美しく、言語晴朗なり」とある。景勝と心の平仄ひょうそくがぴったりと合い、しかも才気煥発の美丈夫びじょうふ。景勝に無二の近臣として重用されたのは、無理からぬことといえよう。


 翌朝、再び、海翁が景勝の前に拝跪はいきすると、家老の兼続が以下のごとく申し下した。

「真田安房守は、かつて当家に弓を引き、不届き至極なり。されど、今や徳川、北条の軍を迎え撃つところとなり、当家に援兵を乞わねば、孤城保ち難きは自明の理。窮鳥懐に入れば……のたとえもある。真田の無勢に対して関東の大軍。これを見ぬふりして援けねば、不識庵謙信公以来の弓矢の名折れである。当家はもとをただせば、そもそも関東管領の家柄なり。大義なき徳川、北条の妄動、許すべからず。上杉が真田の後詰めをいたすゆえ、安房守一同、心を一にして励むべし」

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