第177話 上杉家への使者―2

 海翁は、すがすがしい檜の板敷き広間に、どかっと腰をおろして上座の昌幸と対面した。ゆうに六尺を超える大入道であり、隻腕せきわんながら昌幸などよりはるかに貫禄がある。しかも、その面貌は濃い髭に覆われ、鍾馗しょうきもかくやあらんと思わせる魁偉かいいな風貌だ。

 

 昌幸の左右には、幸村、矢沢三十郎頼康、海野六郎、根津甚八、筧十蔵、由利鎌之助をはじめとする主だった家臣が居流れる。

 

 山野起臥きがの急ぎ旅で大層疲れていようはずなのに、海翁は先刻より毒にも薬にもならぬことをしゃべり続けていた。越後の稲の実り状態、春日山からの眺望、信濃にはない海の利点などを釈迦の教えにからめて滔々と話す。ノミかシラミにでも噛まれたのか、時折、残り一本の左腕で背中を掻く。


 ついに三十郎頼康がしびれを切らせ、本題へと水を向けた。

「して和尚、越後に赴かれたは、雲水うんすい修行の旅でござったろうか」

 ここで海翁は、はっとわれに返ったかのごとく膝を叩いた。

「おう、いかさま左様じゃった。愚禿としたことが、越後の風光に久方ぶりに接し、下らぬ話を牛のよだれのごとくつづけるところでござったわい」


 三十郎がせっかちに先を促す。

「で、首尾やいかに」

「ご無礼つかまつった。此度の儀、もとより遊山ゆさんでも、光雲流水の旅でもござらぬ。久方ぶりに春日山城に伺候つかまつったところ、わが旧主の喜平次さまは、かたじけなくも拙僧が家臣の端くれであったことを、しかと憶えておられ、ありがたや、無事に目通りが叶い申した」


 喜平次とは、上杉景勝の幼名であり、通り名でもある


 海翁が隻腕となったのは、謙信亡き後、勃発した上杉家の家督争い「御館おたての乱」でのことであった。

 謙信の甥である喜平次景勝は、北条家からの養子である景虎と家督をめぐって争い、この内乱というか、内輪揉めに勝利した。海翁こと海野佐馬充幸光は、当時、景勝の旗本として活躍し、その功により景勝から感状を受けている。


 海翁が言葉をつづけた。

「そして、拙僧が真田家の窮状を喜平次さまにお伝え申したところ……」

 その場に居流れる一同が、息をのんで次の言葉を待った。

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