第168話 沼田城の戦い―3
矢沢頼綱の大車輪の活躍は、兄幸隆の死後、甥の昌幸が真田の家督を継いだ天正12年からはじまる。若輩の昌幸などには任せられぬとばかりに、
さらに余勢を駆って、「あの城だけは落とせぬ」と兄の幸隆さえ漏らした要衝の沼田城をも陥落せしめ、これを守る城代となっている。
まさに無敵の
つい話がそれてしまった。
火草と佐江の会話に戻ることにする。
さて――。
佐江の「して、お父上さまはいかに?」という問いに対して、火草は口元をほころばせ、
「お屋形さまは、相変わらず無敵にございまする」
と、応じた。
ちなみに、この当時、真田の家臣郎党は、主君の昌幸を「大殿」、副将たる頼綱のことを「お屋形さま」と別して呼びならわしていた。
両者の混同を避けるためであるが、もっともこの呼び方ではどちらが高位なのか、上下関係の区別がイマイチつかない。こうした一事でも、頼綱の存在の大きさと貫禄が察せられよう。
火草の話はつづく。
北条の軍勢が多勢を恃みとし、総軍をあげて城に押し寄せたのは、幸村に惨敗を喫した三日後のこと――であったという。
先鋒となったのは、「今度こそ」と雪辱を期す猪俣能登守である。
能登守は戦場鍛えの胴間声を張り、馬出し出丸に突進してきた。
「たかがこれほどの出丸。者ども、ひねりつぶせ!」
相変わらずの猪武者ぶりである。
能登守の軍勢は、出丸の全面の三日月堀に突き当たり、おのずと左右二手に分かれた。たちまち左右の柵は北条の軍に乗り越えられ、次の空堀も兵でぎっしりと埋め尽くされた。
幸村の声が響く。
「今ぞ。撃て、撃てっ」
北条方は出丸の武者走りから十字砲火のごとく矢玉を浴びせられ、たちまち死骸の山を築いた。
一方、北条氏邦の本隊は、頭上からの矢玉が降り注ぐ中、遮二無二、城壁に取りついていた。氏邦は、短慮かつ激しやすい性格であったといわれる。それだけに正面からの力攻めとなった。沼田城の城壁に氏邦の本隊が蟻のように取りついて、寸分の隙間もないかと思えた。
このとき北条軍は思わぬ災難に見舞われた。
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