第163話 オシラサマの化身―1

 年が改まり、天正十二年正月。

 この時期、上田城の普請も遅滞なく進み、めでたい新年のはず――ではあったが、城内にそれを寿ぐ様子は一切なく、家臣の誰もが沈んだ面持ちでいた。


 賊に襲われた当主昌幸の傷がいまだ癒えず、床上げできない状態にあったのである。

 佐江姫の輿入れが日延べとなったのは言うに及ばない。昌幸の容体が回復するまでは、さすがに如何ともしがたい。幸いにして、昌幸は長女の村松どのらの手厚い介抱により、徐々にではあるが快方へと向かっていた。


 その昌幸に、徳川家康から再三にわたり、「沼田城を北条に明け渡すべし」という催告が届いていた。家康は苛立っていた。

 沼田城明け渡しは北条との講和条件のひとつであった。なのに、真田は命令に従わず、あまつさえ沼田をめぐって争いを繰り返しているのだ。家康にとって昌幸はもはや目障りな存在でしかない。


 ために、伊賀者の刺客を送ったというに、昌幸は生きておるというではないか。家康は陰険にも次の一手を考えはじめた。

 某日、家康は自分の手を汚さぬ妙案を思いつき、服部半蔵に命じた。

「信濃小県周辺で真田昌幸に強い敵対心を持つ土豪は誰か。早急にその者を探し出し、報告せよ」

「ハッ」


 半蔵の下知を受け、配下の伊賀者数名が再び信濃に潜入し、嗅ぎまわった。

 この不穏な動きを真田忍びが気づかぬわけがなく、「ご用心めされ」という報告は、たちまち佐助から佐江の耳に入った。

「ならば、城の守りを固めねばならぬ」

 佐江は佐助に命じて、上田に残る忍びの者をひそかに動員し、城の警固に念を入れさせた。


 望月六郎を筆頭とする主だった者は沼田の陣にあったが、それでも二十人余の草の者がすぐさま集まった。

「菜飯の姫さまから、お呼び出しじゃ」

「おおっ、佐江姫さまからか。また、あの頃のように菜飯を食わせてくれるというか」

「バカを言え。大殿さまの警固じゃ。お城の守りにつくのじゃ」

 集まった草の者は、皆が皆、佐江の指図に喜々として従った。

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