第162話 伊賀者との対決―4

 鎧通しの刃が、佐助の眼前に迫ってきた。

 しかし、この死線ぎりぎりのところで、猿飛ノ佐助の本領が発揮された。


 佐助は戸隠の山で猿に育てられた。口減らしのため、赤子の頃、親に捨てられたのだ。樹から樹へ、岩から岩へ、崖から崖へ移動する猿の集団の中で育ったが、五歳に至った頃、一瞬の油断で断崖から滑落し、瀕死の重傷を負った。

 この傷を負った佐助を救い、わが子として慈しむとともに、忍びとして厳しく鍛錬したのが先代飛燕ノ佐助である。


 死が迫る佐助の脳裏の中に、先代佐助の声がこだました。

「跳べ、跳ぶのじゃ」

 その瞬間、佐助の五体はバネのように躍動した。

 反射的に黒阿弥の殺人剣を躱し、宙に跳んだ。

 跳びつつ、幸村から授かった貞宗の脇差で伊賀者の首筋をはらった。


 ストンと河原に降り立った佐助は、身をかがめ、残心の構えを取った。伊賀者の次の攻撃に備えたのである。だが、佐助の目の前には、首から血しぶきをあげてたおれ伏している大男の姿があるのみであった。


 佐助の一刀があやまたず相手の喉笛を切り裂いたのだ。佐助が人を斬ったのは、このときが初めてであった。気がつけば、返り血を浴び、髪も衣服も生臭い。生死の緊張から解放された佐助は、繰り返し嘔吐した。


 ほどなくして、金壺眼からどっと泪があふれ出した。

 つづいて疱瘡痕に覆われた口から嗚咽おえつの声が漏れ出た。

「姫さまのお言いつけを守れんかった。生け捕りにできんかった。オラは人殺しじゃ。殺してしもうた」

 むせび泣きつつ、佐助は苦無くないで河岸の砂地に穴を掘った。伊賀者の死骸を埋めるためである。

 横なぐりの烈風が、飛雪芬々ふんぷんたる悪天をもたらし、河原全体がたちまち白いものに覆い尽くされた。

「姫さまになんとお詫びしたものやら……困った、困ったのう。困ったことを仕出かしてしもうた」

 佐助の悄然たる後ろ姿が、吹雪のとばりの中に霞んで消えていった。

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