第157話 猿飛ノ佐助―3

 ―わが凶夢は、何故か常に正夢となる……。

 佐江は少女の頃から、おのれの不可思議な霊力に、自身おののきを覚えることがあった。

 前年の秋、父矢沢頼綱が城代として守る沼田城の危機を救ったのも、夢の力によるものであった。敵対する北条軍の奇襲が、佐江の夢の中にまざまざと現れたのだ。


 鞍上あんじょう、佐江は再び心の中で祈った。

「大殿、ご無事であられませ」

 残月は佐江のただならぬ気配を敏感に感じ取り、白い矢のごとく疾駆した。

 その後ろから、ましらのごとき小さな人影がつづく。

 佐助であった。

 朝靄あさもやを衝いて、佐助もまた人間技とは到底思えぬ迅さで佐江の後を追った。


 佐江が上田城に残月を乗り入れるや、城内は尋常ならざる騒ぎの渦中にあった。

 当主の昌幸が城内に忍び入った曲者に襲われ、凶刃を浴びたという。

 「や、遅かったか!」

 佐江は形の整った唇を噛み、無念の思いに耐えた。

 すでに手当が施された昌幸は、本丸南櫓にしつらえられた臥床ふしどに横たわっていた。その上半身が、木綿の寝巻を裂いた繃帯ほうたいに覆われている。袈裟懸けの一刀を浴びたのであろう。左肩に巻かれた布に、血のにじみが甚だしい。


「大殿、お気を強くもたれませ」

 佐江の呼びかけに、昌幸は双眼を大きく見ひらいた。防寒着として熊皮の褞袍どてらなどを着込んでいたことが幸いし、命に別状はない模様と見受けられた。


 佐助の影が佐江に近寄り、耳打ちする。

「姫さま。賊のものとも思われる足跡が、雪の上に」

「追えるか」

 佐江は声をひそめて佐助に問うた。

「ハッ!」

「なれど、あやめるでない。生け捕って、いずれの回し者か、糾すのじゃ」

 その指図に、佐助は金壺眼かなつぼまなこを見ひらき、生唾をゴクリと飲んでうなずいた。低い鼻筋をヒクヒクとうごめかせている。

 手を焼きそうな難事を前にしたとき、われ知らずつい出る佐助の癖であった。

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