第156話 猿飛ノ佐助―2

「して、先代の佐助は、今どこに?」

「初代佐助は、飛燕ひえんノ佐助というて、石礫づぶてが得意じゃった。じゃが、年老いて役に立ち申さぬと言うて、わが子の佐助、すなわち二代目猿飛ノ佐助をわしに託して消えたわ。生まれ故郷の戸隠の山に入ったとも聞く」


 昌幸が戸隠山のある北方に目をりつつ、上体を曲げるようにして高欄に手をついた。

 その刹那――。

 背後で人影が動いたと思うや否や、昌幸のからだは天守から真っ逆さまに転げ落ちた。

「と、殿、大殿さま!」

 佐江は驚愕し、絶叫した。

「誰か、誰かある!」

 あらん限りの声で叫ぶや、佐江はしとねから跳ね起きた。

 夢であった。

 蔀戸しとみどの隙間から、黎明のかすかな曙光しょこうが漏れ射している。

 佐江の眸子ひとみに映るのは、見慣れた矢沢城の寝所だ。


 ややあって、蔀戸の外から、

「姫さま、お呼びでござるか」

 という声がした。

「佐助か」

「ハッ」

「残月を」

 残月とは、佐江姫の愛馬であることは言うまでもない。


 佐江は白小袖に紺無地の軽衫かるさん姿に着替え、うまやへと急いだ。

 佐助が残月をいて、厩の外へと姿を現した。身に山賤やまがつのような粗衣をまとい、幼児に患ったと思える疱瘡痕ほうそうあとが、猿さながらの顔を覆い尽くしている。

 半袴の腰には、うるみ朱鞘の脇差がのぞく。鞘には六文銭の金蒔絵、そして飛燕の飾り金目貫きんめぬき。その脇差は、佐江姫の陰守りの任にあたって、幸村から授けられたものだ。銘はないが、五郎入道正宗の一子貞宗さだむね作の名刀だ。


 佐江が騎乗するや、残月は「ぶるるっ」と鼻嵐はなあらしを立てた。

「やっ!」

 佐江は残月に赤い鞭を入れ、一気に上田城に向けてはしらせた。

 上田城天守から昌幸が墜落した凶夢を見て、佐江の胸のうちには、鳥肌が立つほど忌まわしい予感と激しい胸騒ぎがしていた。

「大殿、なにとぞご無事であられませ」

 佐江は鞭を入れ、残月の馬脚をあおった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る