第152話 海野六郎の帰郷―2

 海野六郎は再び溜息をついた。

 幸村らは、黙って六郎の話を聞いている。

 火草が先をうながした。

「で、目が覚めれば……なんとした?」

「ふふっ。すべてられたわ。宿も飯盛女もグルだったのよ」


 障子から漏れ射す朝の光を顔に浴びて、六郎が目覚めれば、抱いていたはずの女がいない。しかも、なんたることか。懐中のものがすべて失せているのだ。ゆうに一年間は遊んで暮らせる銀子が入っていたというに。


「あの女、りおった」

 六郎は煎餅せんべい布団から飛び起きると、宿の亭主にただした。

「昨夜の飯盛女はどこだ。隠し立てするとではおかぬぞ」


 すると、宿の亭主は濁った垂れ目を剥き、

「へっ、藪から棒になんのことですかいのう」

 と、しれっとした口調でとぼける。


「色っぽい年増の飯盛女だ。昨夜、この宿にいたではないか」

「ハァ、色っぽい年増女?そんな女、知らんわいな」

 口の周りに黒々とした髭を生やした亭主は、あくまでシラを切る。

 そのとぼけたなまず顔が憎々しい。


「この野郎、さてはおまえもグルだな」

「ありゃまぁ、なんの証拠もなく、かかる難癖。いい加減になされませ。なんならお役人を呼んで、ご詮議してもらえばよろし」

 役人と聞いて、面倒なことが大嫌いな六郎は、急に意気阻喪した。


 その六郎に亭主が追い打ちをかける。

「狐にでも化かされたのかや。気の毒になあ」

 怒りと屈辱で満面を朱に染めた六郎が、怒声をあげた。

「くそっ!後日、必ずやこの意趣、晴らしてみせようぞ。覚えておれっ」

 が、それまでであった。完敗である。


 完全な文無しになった六郎はがっくりと肩を落とし、生まれ在所の小県ちいさがたをめざして街道をとぼとぼと歩きはじめた。

 途中、疲れれば山野に露臥ろがし、腹が空けば得手の弓矢で鳥を撃ち、ときには野草をみつつ、幾つかの峠を越えて、故郷の村にたどりついた。

 しかし、織田軍に蹂躙された村は焼失し、六郎の母らが暮らしていた屋敷は跡形もない。ぼうぼうたる夏草の茂みがひろがるのみである。


 六郎は一人、屋敷跡の前にたたずみ、思案に暮れた。

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