第150話 山崎の合戦―3

 光秀軍は狭隘な山崎の地に、秀吉軍の出口をふさぐ形で粛々と布陣した。切れ者の光秀率いる軍だけに、水も漏らさぬ陣形であった。

 しかし、雨中の移動は、明智の軍に悲運をもたらす。光秀自慢の鉄砲部隊の火薬が湿って、用をなさなくなっていたのである。


「やんぬるかな」

 光秀はおのが武運の拙さを嘆き、雨の降りしきる昏い天を仰いだ。


 翌6月13日朝、決戦の火蓋が切られた。両軍が泥濘ぬかるみを蹴り、喊声をあげて敵陣に殺到した。

 光秀は絶叫した。

「義はわれらにあり!勝たねばならぬ」


 明智光秀は、本能寺の変の前、安芸ともの浦に逼塞ひっそくしていた足利将軍義昭に拝謁し、こう言上した。

「この惟任これとう日向守光秀、大樹たいじゅ(義昭のこと)を裏切り、天下を横取りした信長めを、討ち取るときが参りました。本懐を遂げました暁には、大樹を京の御所にお迎えし、足利幕府を再興仕る所存。吉報をお待ちくだされ」


 義昭が満足げにうなずく。

「光秀、大儀。信長の首を刎ね、幕府再興の暁には、その手柄として、そちを管領職に就けよう。励め」

 管領職とは、将軍の補佐役で幕府ナンバー2の要職である。

「ハハッ。ありがたきお言葉」


 光秀は秀吉の大軍を眼前に、悲壮な声を張り上げた。

「われらは逆賊にあらず。幕府軍なるぞ。いまこそ、義昭公のため幕府を再興するのじゃ!」

 が、衆寡敵せず、秀吉の人海戦術の前に光秀はあえなく敗北した。足利幕府再興の夢は絶たれたのである。


 嵐が過ぎ去り、両軍あわせて六千五百余の死骸が野に横たわった。まさに死屍累々である。側近とともに敗走した光秀は、京都小栗栖おぐるすで落ち武者狩りの憂き目に遭った。

 この山崎の合戦に勝利した秀吉は、返す刀で光秀の居城である坂本城、丹波亀山城をたちまち陥落させ、討ち取った将士の首を本能寺の焼け跡に並べた。その数、ざっと二千。


 後日、光秀の首も小栗栖の竹藪から発見され、信長自刃の場とされた本能寺「御殿」の焼け跡の前に晒された。

 信長の霊を弔い、慰めたのである。

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