第148話 山崎の合戦―1

 仇討ちという本懐を遂げた海野六郎の胸のうちに、里心がむくむくともたげてきた。それに、騒がしい京の都は好きでない。

 信濃への帰心きしん矢のごとしであるが、懐には路銀はおろか、びた一文たりともなかった。服も薄汚れ、全身からえた汗の匂いがする。


「京をつ前に、この身なりをととのえねば……」

「しかし、金がない」

 六郎はぶつくさ呟きながら、腰の薬研藤四郎に触れた。

「いっそ、売るか。いや、これは天下の業物。銭には換えられぬ」


 都大路をゆけば明智の兵がごろごろ屯している。

 ――そうか。こやつらをぶっ殺して、銭を奪えばいいのだ。

 内心、いいことを思いついたものだと、六郎はニンマリし、早速、実行に移した。


 夜――。

 人気の途絶えた白川通りで、得手の弓を小脇に抱え、めぼしい獲物を待つこと数刻。前から、数名の騎馬武者が現れ、これをたちまち連射で射殺した。その胴巻どうまきには案の定、万一の際に使うための肌付金はだつけがねがあった。

「ふふっ。合戦で多くの者を殺したバチが当たったのよ。成仏するがよい」


 その夜、六郎が洛中の傾城屋けいせいや(遊郭)に登楼し、久しぶりに風呂、酒、女を心底堪能し、散財したことは言うまでもない。

 女の中に幾度か精を放ち、朝、黄色い太陽がのぼったとき、何やら外が騒がしい。傾城屋の二階から通りを見ると、荷を背背う者、家財道具を荷車で運ぶ者らの姿がやたらに目立つ。大きな合戦の前触れだ。


 六郎は傾城屋近くの刀見世に、客のをしてふらりと入った。

 禿頭の店主が頭を下げる。

「へえ、お越しやす」

「すまぬが刀を見せてくれぬか」

 すると、六郎の足元を見たのか、鈍刀なまくらを「へえ、こちらではいかが」とすすめる。


 六郎はそれを手に取り、さびの浮く刀身を眺めながら店主に訊いた。

「ご亭主、近く合戦があると見たが……」

「へえ、信長さまの弔い合戦が、明日にもという話で、いささか洛中が騒がしくなっておりまする」

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