第144話 本能寺の変―1

 ――母者や一族をなぶり殺しにした信長め。この仇は必ずとる!

 甲斐から安土へ凱旋する信長の後を追い、六郎も手慣れの強弓を手に復讐の旅に出た。

 

 積年の念願であった武田を滅ぼし、馬上、信長が晴れ晴れと東海道を西にゆく。天下布武は目前。富士を眺めながらの凱旋は、信長に大きな満足をもたらした。


「地獄へ送ってやる!」

 六郎は瞋恚しんいほむらを燃やし、意気揚々と引きあげる信長をすきあらばと付け狙った。が、油断のない身辺警備に阻まれ、機会はなかなか訪れない。

 このとき、信長はおのれの周りを小姓、馬廻り衆で固め、さらに甲賀忍びの手練れであるばん太郎左衛門、多羅尾光俊たらおみつとしを護衛役として引き連れていた。

 この両名の率いる忍び軍団が、水も漏らさぬ警備の網を張っていたのである。

 ちなみに、信長の重臣である滝川一益も甲賀の出身といわれ、「一益忍者説」があるが、真偽の程は定かではない。


 信長を追尾して、ひと月が虚しく過ぎた。

 この間、信長は安土城に籠り、一向に姿を見せなかったが、梅雨の季節を迎えた頃、突然、動きが見られた。わずかな供回りを引き連れ、騎馬でゆるゆると西に向かったのだ。

 ――守りの手薄な此度こたびこそ!

 六郎は必死で追った。足には自信がある。


 信長一行が京の本能寺に入ったのを見届けた六郎は、夜陰に乗じ寺の床下に身を潜めた。

 床下に潜んで機会を窺うこと二日目、すなわち六月二日未明のことであった。期せずして異変が勃発した。

 黎明の静寂を破り、馬蹄の響きと、湧きあがるようなときの声。次いで、銃声が一斉に轟いた。


「なんだ。ったく、朝っぱらからうるせえな。何が起きたのだ」

 寝ぼけ眼の六郎が床下から這い出すと、寺の塀の外に桔梗紋の旗指物が林立しているではないか。

 

 

 


 

  


 

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