「お父さんと仲良くできてよかったね」で素直に喜ぶ幸村。年少児の無感動の頃を思うと胸が熱くなります。
種子島時堯の、鉄砲を見るやその優位性に対する慧眼と国産開発への試みは、この人なくしては鉄砲の広まりは100年は遅れたとも聞きますが、この金額を思えばさもありなんです。そんなに高かったら作れる人物も限られますね。
日本の金の埋蔵量は結局、世界の数%ということですが、開発の時代がマッチした感はありますね。発掘技術の未発展も持続可能な開発の一助になったのでしょうか。加えて銀の埋蔵量はこの時期世界シェアを大きく占めていたのでしたっけ。鉱物原産国と見なされたのも、色々と偶然的な符合が重なった結果なのかな、思うと歴史の面白さを感じます。
作者からの返信
この当時、法華宗の教線は、京都から堺を経由して、
瀬戸内へと流れ、種子島までつづいていました。
鉄炮はこの法華宗ネットワークにより畿内に流入し、
時の管領、細川晴元の手に渡り、
堺の鉄砲鍛冶のもとでつくられた火縄銃が、
将軍足利義晴率いる幕府軍と、三好長慶軍が
鴨川をはさんで対峙した合戦で初めて用いられました。
この法華宗ネットワークを重視した織田信長が、
法華宗の本山・本能寺で横死したのはこうした背景があります。
莞爾 という漢字がある事を恥ずかしながら初めて知りました。
ひらがなかカタカナになるのかと思っておりました。
新しい発見、ありがとうございました!!
作者からの返信
いえいえ、どういたしまして。
莞爾は、本当は「かんじ」と読みます。
にこりと笑うという意味です。