第135話 天下への野心―1

 幸村が十蔵の言葉を引き取った。

「天下に対する野心はともかく、昨今、親父どのも色々と学んだようでござる」

「ほう。大殿の学ばれしこととは……」

「ふふっ。ありていに申せば、銭の力ということでござろうか」


 昌幸は、武田家の滅亡の軌跡から多くのものを学んでいた。とりわけ骨身に沁みたのは、合戦をして勝利までこぎつけるには莫大な金が要る、という単純な道理である。


 ところで話は変わるが、この時期、日本にはゴールドラッシュが起きていた。

 当然、諸国の大名は、既成の金山の獲得や保護だけでなく、新しい産金地も血眼になって探した。

 群雄割拠の時代に頭角を現すためには、軍資金を産む金山、銀山の開発が必要不可欠であった。


 有名なところでは、上杉景勝の佐渡金山、北条氏親うじちかの阿部金山、北条早雲の土肥とい金山などがあげられよう。

 さらに言えば、亡き信長の天下布武の野望も、壮大な安土城も厖大潤沢な財力の基盤なくしては叶わぬ夢であった。信長は当時、美濃金山、生野銀山、多田銀山などを支配下に置いていたのである。


 それとは逆ながら、武田家の場合は、領内に黒川金山、湯の奥金山、早川金山などの枯渇が、軍用金不足を招き、滅亡への道をたどる結果となっていた。黒川金山などの産出量は、信玄の頃にピークを迎えたが、家督を継いだ勝頼の代にはほとんど金を掘りつくしていた。


 実は、あまり知られていないことだが、長年にわたり昌幸が上州沼田城の攻略にこだわったのにも、「黄金」がからんでいる。この沼田周辺にはもろ金山をはじめとして、戸神山、東小川などにも金山があり、昌幸はこれらの産金地をぜがひとも手中におさめたかったという事情があったのだ。


 ちなみに、天文元年(1532)、沼田顕泰あきやすこと万鬼斎まんきさいが、はじめて沼田城を築城した際、その資金は師金山などから産出された金であったと伝えられている。

 さらに時代は下り、慶長2年(1597)、沼田城主となった真田信幸は、この沼田城を大改修し、五層の堂々たる天守閣を空にそびやかせた。


 当時、関東には江戸城以外に五層の天守を持つ城はなかった。

 わずか二万七千石の石高しかない沼田城領主の信幸が、なぜ関東最大規模の威容を誇る天守を建造できたのか。

 これは今日も謎となっているが、筆者は師金山などから産出された「黄金の力」を背景にしたものと確信している。

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