第113話 本能寺の変

 昌幸が信長と対面した直後の3月末。

 この鷲峰山法華寺で、武田攻めの戦勝祝いが催された。


 その席上で、祝賀ムードをぶち壊すような事件が起きた。

 家臣の明智光秀が、酒が入った安気さで、周囲の者に何気なくこう漏らしたのだ。

「われらも骨を折った甲斐がござった」

 これが、信長のかんに障った。


「そのほうごときが、何をしたと申すか」

 信長の端正な顔が冷笑で歪み、その額に蚯蚓みみずのごとき青い筋が走っている。

 こうなると、もはや誰にも止められない。

 信長は昂ぶりのままに光秀のキンカ頭を居並ぶ諸将の前で打擲ちょうちゃくし、はずかしめた。


 それが恨みとなったのか、はたまた諸説ある中のどれが真相なのか、今もって動機は謎であるが、この二カ月後の6月2日、光秀は忽然と叛旗をひるがえし、信長を襲った。

 世にいう本能寺の変である。


 武田氏を滅ぼし、ほぼ天下を掌中にした信長は、油断しきっていた。信長に刃を向ける者など、日ノ本60余州にもはやいない。

 実際、この日の未明、明智軍が桂川を渡河し、京の都に入る前に、森蘭丸に忍びの者から急報が入っている。

「明智の兵にあやしき動きあり」

 蘭丸が問う。

「あやしき動きとはいかなることか」

「はっ。種子島の火縄をくすぶらせておりまする。いつでも撃ち放つ構え。おかしいとは思いませぬか」

「ふむ。なるほど」


 蘭丸は信長の寝所に直行し、ふすまの外から声をかけた。

「上さま。いささかお耳に入れたきことが……」

「申せ」

「明智軍がこちらに向かっておる由。火縄をくすぶらせ、何やら尋常ではない様子とか」

「バカを申せ。あのキンカ頭が、われを裏切るはずもなかろう。大事ない。下がれ」

「はっ。申し訳ございませぬ」


 第六天魔王の信長にとって、光秀ら家臣など人間のうちに入らない。すべての配下は、自分の思い通りに動く道具であり、将棋の駒であった。その意思を持たぬ道具や駒が、自分を裏切るわけがないではないか。

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