第111話 乾坤一擲―2

 昌幸は信長の本陣に乗り込むにあたって、草の者らからさまざまの情報を集めていた。

 それによると、信長の馬好きは偏執的で、「眉目よい稚児や小姓を愛するがごとく」であるという。


 このとき、信長はその陣所を鷲峰山しゅうぶせん法華寺に置いていた。法華寺は、諏訪大社上社における神宮寺の一坊である。

 織田軍は、高遠城を落とした翌日、武田家の信仰篤かった諏訪大社を焼き払ったが、上社本宮に隣接する法華寺は類焼をまぬがれていた。


 昌幸は法華寺に側近数名と騎馬で向かった。

 その中に、昌幸配下の者で信濃随一の忍び名人といわれた唐沢玄蕃げんばの姿があった。

 万一、昌幸が信長の怒りをかい、刃を向けられたとき、この玄蕃が信長と刺し違える役目を負っていた。


 法華寺に近づいた時、玄蕃の手の者が注進に及んだ。

「ただいま、尾張守どの、法華寺境内にて名馬を集め、悦に入っている由」

 昌幸はこれを聞き、自分に運が向いていることを確信した。


 今このとき、信長に信濃の名馬を献上すれば、格別の鼻薬はなぐすりとなるであろう。昌幸は部下に選りすぐりの駿馬をかせてきていた。信長も間違いなく気に入る名馬中の名馬であり、しかも信長が好む黒葦毛である。


 昌幸は、信長を目にするや、その足下に拝跪はいきした。

 森蘭丸が誰何すいかする。

「何者じゃ。右府さまのご面前に突如現れ、お目を汚すとは無礼であろう。この田舎侍め。許せぬ」

 と、同時に、短兵急に脇差を抜きはらった。


「待て、お蘭。たしか、今日、真田とか申す者が、わしに臣従するため、この法華寺に来るとか、聞いておる」

 その変に甲高い声は、信長のものに相違ない。

 

 瞬後、昌幸が地に額を擦りつけるほど平伏し、

「畏れながら言上仕りまする。それがしは、真田安房と申す土豪にござりまする。右府さまの此度の戦勝祝いに、信濃の馬を献上いたしたく、ここに曳いてまいった次第。ぜひご覧いただきとう存じまする」


 再び、昌幸の頭上で信長の甲高い声がした。

「で、あるか」

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