第109話 由利鎌之助―2

 鎌之助は、「生きよ」という兄惣蔵そうぞうに取りすがった。

「兄者、頼むから一緒にいさせてくれ。ともに戦い、ともに死にたい。足手まといにならぬよう、必死で働く。頼む。この通りじゃ。兄者を助けて、勝頼さまの馬前で華々しく討死にし、甲斐の空に名をあげるのじゃ」


 惣蔵昌恒は天を仰いだ。

 もはや、この弟を説き伏せる時間はない。敵がすぐ近くまで迫っていた。


「どうしても、この兄の言うことが聞けぬと申すか」

「いやじゃ。聞くわけいにいかぬ!」

 惣蔵はやむなく腰に帯びた先祖伝来の太刀、景依かげより鞘走さやばしらせた。

 備前長船おさふね派の名工、光忠の弟景秀かげひでの息子による作刀である。直刃すぐはを基調としながらも、丁子ちょうじ風の映りが見られ、地鉄じがねは青く冴えて古刀ならではのゆかしさが感じられる。


「兄者。その景依で、わしを斬るのか。斬ると申すか」

 双眼を見ひらき、驚愕の表情を浮かべる鎌之助に、

「えいっ!」

 鋭い気合とともに、惣蔵は左利ひだりききの刃を一閃させた。


 刹那、鎌之助が「うっ」と呻いて、右腕を押さえた。押さえたその指の間から、鮮血が噴き出す。

「これで、当分、槍も刀も使えまい。この兄を許せ。命を粗末にするでないぞ」

 兄の哀しみのこもった声を聞き、鎌之助は路傍に崩れ落ちた。

 弟の悲しそうにうずくまった姿を見て、惣蔵は勝頼のもとへ駆け去った。


 惣蔵が「片手千人斬り」という獅子奮迅の働きをなした後、勝頼を介錯かいしゃくし、自らも自害して果てたのは、この数刻後のことである。


 鎌之助は、兄の惣蔵の壮絶たる最期を生涯のほまれとした。そして、この日から、鎌之助の腕の傷痕きずあとは長くうずき、その傷口は醜く盛り上がった。

 だが、鎌之助はうれしかった。

「わしの右腕には、兄者が宿っておる。兄者の心が、魂が宿っておる。いつも一緒じゃ。ずっと一緒じゃ。死ぬまで兄者と一緒じゃ!」


 武田家が滅んだ後、由利鎌之助が真田家に仕え、真田十勇士として名を高めることになったのは申すまでもない。

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