第106話 勝頼の最期―2

 武田勝頼は、真田昌幸の進言を受け入れ、上州岩櫃いわびつ城に移ることを同意した。

 そのため、昌幸は勝頼と側近衆らの受け入れ準備のため、岩櫃に先行した。


 しかし、昌幸が上州へと去った後、譜代家老衆の小山田信茂のぶしげ、長坂釣閑斎ちょうかんさい、跡部勝資かつすけらが、

「真田など外様の家臣ではありませぬか。信用なりませぬ。しかも、岩櫃への道は遠く、いまだ雪に埋もれており、難儀にございます」

 と、申し立て、前議をくつがえした。


 穴山信君、木曾義昌らに裏切られ、勝頼は疑心暗鬼となっていた。

 そこに重臣らがつけ込み、さまざまな巧言を弄する。特に、小山田信茂は、すでにこの時点で勝頼をわなにはめようとし、自分の居城岩殿城(大月町賑岡町)への動座を熱心に説いた。


 たしかに岩殿城ならば甲斐領内である。上州ほど遠くない。しかも、ここは岩櫃城ほどではないが、東国屈指の堅城として知られていた。

 結局、勝頼は陰暦3月3日、新府城に火を放ち、東の岩殿城へと向かった。


 その前日、勝頼にそむいた裏切人の人質が処刑された。まず、木曾義昌の母と嫡男らが大手口で「逆さはりつけ」にかけられた。


 この逆さ磔とは、通常の磔とは逆に頭を下に固定する。そうすると、いつか脳に血がたまって死に至るため、なかなか死なせないように、こめかみを切って頭部の血をタラタラと流させる。こうすると、受刑者は長く苦しみながら死ぬという残酷きわまりない刑であった。


 その他の人質九百人は、人質曲輪で焼き殺された。まさに、この世の地獄であった。韮崎の地に、耳をふさぎたくなるほどの阿鼻叫喚、そして勝頼を呪う断末魔の声がこだました。


 さて3月5日の夕刻、岩殿城へと急ぐ勝頼一行は、笹子峠麓の駒飼こまかいに着いた。一行はひと息入れた。ここで待てば、小山田信茂から迎えが来るはずであった。


 ところが来ない。


 3月9日の夜、人質として止めてあった小山田信茂の母が、小山田の手の者に奪い取られた。これを追いかけるや、鉄砲を撃ちかけられる始末。ここにおいて、勝頼は小山田の逆臣をようやく悟った。


 行き場を失った勝頼は、天目山麓の田野たの(甲州市大和町)を最期の場所と定め、織田方の先鋒滝川一益かずますの兵四千と戦ったが、あえなく自刃。嫡男の信勝とともに自害し、甲斐源氏武田氏の嫡流はここに滅んだ。


 山桜舞い散る陰暦3月31日のことである。

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